刑務所の横には「死の壁」と呼ばれる壁がある。収容者はその壁を背にして銃殺されていた。そこには来訪者からの花が手向けられていて、そしてこの日の空は青い。いろんな国の人がたくさんいるはずなのに、物静かな場所である。
数年前に台湾に行ったときのこと、通りを歩いていて年配のオッサンが日本語で話しかけてくるのだ。歴史をよく知らなくても戦時中に日本語を習ったからということはすぐにわかるが、それを考えると日本人の心として普通に何とも言えない感覚に陥ったものだ。気が引けるような感じ。僕は別に彼らに何も悪いことをしたわけでもないし、彼らも戦争の話しなどなしで、なんでもない話をしてくるのだ。しかしあの時のあの感情は不思議なものだった。
自国の戦争について考えることなど、いまの社会の中にいて、そういう機会はあまりないこと。しかし絶滅収容所に行ったことで、日本が過去に行ってきたことが自分の感情をも左右しているんだ、と考えさせられた。
戦争なんて極論、自分には遠い話しでイメージできないこと。それをいまだに関わりのないはずの自分にまで影響を及ぼされる事はない。そう思っていた。
靖国参拝の問題も、中国や韓国からいまだに戦争責任について問いつめられているのも、彼らの体制のせいだけではなく、日本人の自覚も足りなかった歴史。そんなメンタリティをいまだに引きずっているからではなかろうか? サムライの心を忘れたズルい社会のままでいいのか?
惨殺が日常的に行われていた地に来て、その跡を目の当たりにしたことでようやくわかったこと。戦争や殺戮云々という話しでもなく、自分の他者への関わり方を問われているんだろう。人間の心など弱いし、想像力なんてたかが知れている。そんな生き物がどう生きればいいのか?
