静かな湖畔の - Stresa 1
イタリアとスイスにまたがるマッジョーレ湖。その西岸にある小さな街ストレーザ。その湖にはボッロメオ諸島と呼ばれる島々がある。霧の街ミラノは太陽が燦々と降り注いでいただけに、抜群の気候を期待していたのにはずれてしまった。魚介類のパスタを口にすることもなかったものの、また来たくなるような土地ではあった。
ミラノよりもおいしいジェラートをほおばり、静かな湖畔を鼻歌まじりに歩く。ワインやリモンチェッロの店、色のついたパスタやオリーブオイル、リゾを販売する店があり入ってみた。観光客向けだけに割高なものの、スーパーのものより変わったものが置いてあった。それよりちょっと驚いたのは、会計しているお客さんに店員が「ドイツ? フランス? オランダ?」と矢継ぎ早に聞いていた。何事かと思うと、お客さんの応えた言語に合わせて商品説明をしていたのだ。さすが国境に位置する街。確かに僕がイタリア語を使っていても、この街の人は英語で声をかけてくる。観光地化していると言えばそれまでだが・・
国境があるように言葉にも違いがある。言葉に違いがあるように人にも違いがある。人に違いがあるようよう性格にも多様性がある。人はそれを理解していても納得しないもの。
人は違う。それを許すか。受け入れるか。
人間関係というのは人と人の違いを見るゲームである。意見の違うもの同士が交わることはない。でも存在する。それはあり続けるもの。否定しても存在する。
どんなに自分に近い考えの人であっても異なる意見はある。でもこれだけ広い世界にはそれ以上に自分に近い考えを持つ人がいる可能性はいくらでもあるわけである。自分と対極にいる人間は数多く存在する。と逆に言えば、自分に近い考えの人間は、まわりにいる人間以上にたくさんいるかもしれない。
イタリアに来てそんな人間探しのゲームを続けている。きっとどこかにいる。それは地中海の太陽の下かもしれないし、砂漠の果てかもしれないし、100年以上続く氷の上かもしれない。僕の考えがはびこりすぎているものであれば、僕はもっと生きやすくなるはず。
人は誰しも自分を認めて欲しいものである。人にしても土地にしても、人はホントにわかるなんてものはありえない。断片しか見つめられないもの。幻想を見つめそれを交差させているだけ。イタリアに何年いようがそれは同じ。日本のことすらわかっちゃいない。僕は自分が見ている幻想を投影した作品を作っている。




