2008年5月 2日 (金)

空の景色 - Crespi d'Adda 6

 崇高な理想を掲げて邁進してきたのが本当にイタリア人だったのか。そんな疑問を持ちながらずっと歩いてきた村。ここで謳っていることのカッコよさと、日常出会う現実のイタリア人とのギャップが激しくも感じていた。しかしこの村にいたイタリア人は、短時間ゆえ表面的だけとはいえ、いい意味でイタリア人らしさが見えた気がした。
 サッカーで遊ぶ少年たち。顔を見れば笑顔を返す住人たち。通りを父親と歩いていた少し離れた家の女の子に声をかける姉妹。あたりまえの光景が広がっていたのは、時代を経ても変わることのない青い空と同じだった。



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2008年5月 1日 (木)

見渡せる美しさ - Crespi d'Adda 5

 村はほぼ完璧と言えよう。歩き回っていった中で、すべてに美しさを感じられた。住宅の並び、手入れされた庭。工場の煙突。アステカに影響された墓地。小さな教会。
 この村の外側も別荘地帯なのか、そんな感じの邸宅をよく見た。そしてホテルのような主任の家。マスゲームのようなものと同時に、個々の緻密に手を入れられたきれいさが輝きを増しているようだった。



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2008年4月30日 (水)

コミュニティの影 - Crespi d'Adda 4

 こういう理想には現実的でないからこそ、その良さばかりが際立つけれども、その弊害ももちろんあったことだろう。小さな共同体の中での共産主義的社会は、いまの時代となっては破綻してしまうのが謂わば方程式とでも言えるかのよう。
 工場経営で個人の方針を満たすには適しているかもしれないが、雇われている側からしたら末永い保障を約束されているものでもない。そのうえこの社会しか知らないものすら出てくるわけだ。村の中ではお互いがお互いを熟知していて、そのしがらみから逃れられない。経営者の理想に沿った形ですべての労働者、家族までもが満たされているかというと、それはありえないこと。
 家族経営が伝統的なこの国では、よくある形のようでもあるが、血の入れ替えや視野を広めるという意味でも、やはり理想は理想にとどめておくべきだったのではなかろうか。考え方の多様性があってこそ美しさが浮きだってくるはず。
 訪れる人間にとっては理想の実現した村で、静かで暮らしやすそうには見えるが、当時の人々の心境はいかほどであったろうか? とはいってもここは貴重な財産であることには間違いない。



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2008年4月29日 (火)

クレスピ・ダッダ - Crespi d'Adda 3

 行き着いた先は世界遺産のクレスピ・ダッダ村。19世紀末にある一族が全財産を注ぎ込んで、いわゆるユートピアが築き上げられた。仕事はもちろん、学校、病院、家、教会、墓、生活する上でのすべてにわたって、この村の中でまかなっていく。時代の流れに逆行したとはいえ、理想=夢を形にした素晴らしいものが残存しているのである。


http://www.villaggiocrespi.it/


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2008年4月28日 (月)

川沿いの小道 - Crespi d'Adda 2

 さしてミラノから離れていなく、高速のすぐ近くだというのに、かなりの静けさ。ふと思いついたすきに足を少しでも伸ばせば回帰できるような場所。誰もが見過ごしそうであり、そして誰もが見過ごしている。そんなところこそ重要であり、忘れてはいけないところであったりする。そんなことをふりかえりつつ、いつでも立ち返ろうと言い聞かせる。


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2008年4月27日 (日)

アッダ川 - Crespi d'Adda 1

 ミラノを離れてべルガモ方面へ向かう。道すがら空を眺めて時の流れも忘れている。焼き付いたものは空白のキャンパスというよりも、見失いそうになっていた自分の原型。リズムを分断した中から現れた、パズルのピース。そんなものが舞い込んできた。


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