2006年9月11日 (月)

BUON COMPLEANNO!!!

 友人の誕生日パーティーに呼ばれた。イタリアでは誕生日の人の方が、みんなにふるまうというが、その通りまわりはイタリア人だらけのこじんまりとした食事をした。イタリア語が飛び交う中、その友人はいつも気を使ってわかりやすく言い直してくれる。ほんとにその気の使いようには頭が下がるばかりで、日本人以上にも思える。
 魚と野菜の串焼きや、焼魚がコロコロとたくさん入った器、生ハム、チーズ、パン。スカスカな感じで食べた気がしなかったものの、ジェラートからコーヒーまでもらって満足。彼氏の方がすべて用意していた。BRAVO!!
 プレゼントをみんな持ってきていて、時間がない中、僕も一応用意していた。服とかDVDとかおもちゃ等、ちょっとシャレたものを持ってきていたのに、僕は竹とんぼ。日本らしくていいだろうと持ってきたけど、僕のが一番安っぽくて「やっちまった」しかし意外にも僕の予想通り、その物珍しさにみんな夢中になっていた。ホッとした。
 いつも気を使ってくれる彼女に今日は BUON COMPLEANNO!!! 誕生日おめでとう!! 楽しかった!



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2006年7月11日 (火)

Campioni del mondo!!

 ワールドカップ優勝のさめやらないここイタリアにアッズーリたちが帰ってきた。ローマのチルコマッシモでセレモニーがある。夕べの大騒ぎから一夜明けた今日、ミラノの街はいまだに「イ・タ・リアッ、イ・タ・リアッ」の雄叫びとイタリア国旗のオンパレード。ワールドカップ優勝国にいられるなんて、そうあることではないので僕もその雰囲気にひたっていた。
 しかし肝心の試合。イタリアは押されていた。ジダンの退場。汚点だろうか? むしろ最後して最大の記念、記憶に残る珍プレー大賞ではないか? あと少しの未熟さが彼をこういう終わり方にさせてしまった。フランス国内ではマテラッツィが祭りあげられ、ジダンの美談として語られていくのだろう。そんな終わり方もありではないか? 逆にそういうフィナーレを演じていたのでは?
 そして僕が笑ったのはトレゼゲ。それこそイタリアに買われていたんではないかと思わせられるようなプレー。あのPKのとき、何となく予感はしていたが、チームメイトのブッフォンもしてやったりか?
 そんなこんなでいろいろとあり、これからも一波乱あるイタリアカルチョ。とにかくティフォージ同士の争いのない、イタリアが一体になっている国の姿は美しい。こんなイタリアは素晴らしい!! こんな状況の中、よくやった! Grande Italia! Grande Azzurri!


 映像のイタリア人はここに出てくるイタリア人そのまんまです。
Europa&Italia


 果たしてイタリア代表の中にネプチューンがいたのは皆さんお気づきだろうか?

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2006年5月 6日 (土)

Pizza OK

 あのカルチョ狂がミラノに再上陸した!
 チャンピオンズリーグもセリエAも終わりだというのに、ミラニスタと言えど何をいまさらミラノに? 思えば去年籍を入れたはずのカルチョ狂の新婚旅行はまだだった。スペインへのカルチョの旅ついでのミラノへのご挨拶訪問。カルチョ狂と奥さんと一緒に近くのピッツェリアへと向かう。
 カルチョ狂のかなりのお気に入りのピザは「78」。生ハムがのっている。奥さんのはキノコ盛りだくさん。このピッツェリア、かまどもちゃんとある本格的なピザ専門店でなんと86種類ものピザがあり、注文するにも番号で伝えるのだ。これだけ種類があれば番号など言わずに自分好みのトッピングピザも作ってくれそうだが・・僕が注文したのは「118」。ジェノベーゼペーストにパンナ、小エビ、プチトマト。うまいだけではない。写真を良く見て欲しいのはピザが浮いていること。イタリアのピザは大皿一杯にのっかってくるのは当然だが、ここのはオーバーなくらいにはみ出している。ピザを切るのも一苦労する。そして生地がかなり薄くペラペラ。食べてみればかなりの量があり、これだけで充分腹一杯。客席は100席あり、子供も大人もどんどん入ってくる。流行りのピッツェリア。うちの近くなだけに来客のときは安心して案内できる。
 ミラノには泊まるのに、食べながらでも口の止まらないカルチョ狂。ここのところガゼッタなどでも報じられているようにユベントスの審判操作に揺れているセリエA。以前からパルマの脱税やチェッキ・ゴーリの破産など裏の問題が山積みの世界最高峰リーグ。ユベントスと言えばモッジGM。シエナの選手が云々、パレルモ戦では云々。いろいろと語っていた。ときたま僕に合わせて野球ネタで例え話をしてくるのは、やはり普段から子供相手にわかりやすくものを伝えようとしているからだろうか? 指導者として必要な素養ではあろう。
 彼と会うといつも不思議な風が僕の前を通り過ぎていく。大胆さと几帳面さ。自分の考えを熱く語る一方、ふと冷静にもどる。二面性があるのかないのか。典型的な体育会系のこの男。そして貧弱なオタッキー・映画好きの僕。吹けば飛んでしまいそうな僕を相手にしているのは、きっと人を見るのが好きなんだろう。映画でもそうだが、カルチョの世界でも監督をする者、人間探求は死んでも終わりのないものだ。この男は相手を分析するだけではなく、人を大切にする温かさがある人である。それこそが狂人に共通する要素のはず。


Pizza OK


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2006年4月13日 (木)

ありがちな風景 1

 ランブラーテ駅の切符売り場に着くと、窓口には長蛇の列。出発まで15分くらいしかないのに並んでいるわけにもいかない。2台しかない自販機で買うことにした。なぜか幸いな事に自販機に並ぶ人はわずか。順番はすぐに回ってくるものの,前の順番の女の子がお金を入れる表示までさせておいて購入しなかった。何か問題か? と思いつつも自分の番になり紙幣を入れようとすると「支払いはコインのみ」という表示。この国の自販機だとよくある。自分のフトコロを見るとあと 60セント足りなかった。隣りの自販機に並び直していた女の子の後ろに自分も並び直す。
 すると今度はその女の子の10ユーロ札が汚くて機械が受け付けない。「あなたの10ユーロ札と交換して」と言う。僕は2枚持っていたが,女の子に渡したのが受け付けられて自分の番で受け付けられなかったとしたら最悪だと思い、比較的汚れていた方を交換してあげた。でもその札も受け付けられなかった。
 少し頭によぎり始めたのが「こんなくだらない事でクレモナに行けなかったらアホだ」ということ。自販機がだめなら窓口に行かなくてはならない。でもそんなことしていたら出発に間に合うわけがない。ということは何が何でもこのお札を入れないといけなかった。にもかかわらず、手持ちの10も20も50も札はすべて入らない。「買えない・・」最後唯一の手段がひらめいた瞬間には次の動きに入っていた。
 目指すはバール。その手前に古本を売っているところがあり、そこのお兄ちゃんに聞いた。5ユーロだけかと思われたが、10ユーロを出していた僕に気がつくと,もう一度レジの中を見て「そんなにないから隣りのバールに行ってみて」両替なんてダメもとでお願いしたが、ここまでやってくれた彼はいいヤツだった。バールに行き両替してもらおうとしたが,目の前に広がる1ユーロもしないお菓子の行進。両替というよりは何かしら買った方が自分の気分的にもすっきりすると思って手にした M&M'S。


 ホームに行く途中の駅の角すべてにマイクロソフトの広告があった。オスとメスのワニに見た事あるようなものが書き足されている。しかもすべての広告に・・。イタリア人のアホさ加減にちょっとした笑いがこみ上げてきて、気持ちを和らいでくれた。



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2006年4月 8日 (土)

走り出せば止まる事を知らない人々

 知人に誘われてイタリア人と日本人のいる飲みの場に行った。まさかここでこんな不思議な光景を目の当たりにするとは思わなかった。
 イタリア人はキウーゾ (閉鎖的) とか内輪で固まるとか、会ったり飲んだりするのはいつも変わらない同じメンバーだといろいろな人から聞いていた。実際そういう人と僕は会った事もなく,出会ってきたイタリア人はとてもシンパティコ (親しみやすい) で、僕自身はいろんな人とつきあいをしている。
 ミラノで会う友人もとても親切でよくケアしてくれる。行く先行く先で突然出会ってきた職人たちも、そんな僕に対しても親切な応対で接してくれた。ジェノバのロレンツォが言っていたのは「ジェノバの人間はとてもキウーゾで君みたい日本人が来ても打ちとけられないだろう。僕ですらそうだから」という。僕は「ふ〜ん」という程度で実感が湧くはずもない。「じゃ、君はパルティコラーレ (ちょっと変わり者) なんだね?」と聞くと「Si」と返された。
 僕が来たのはミラノ市内の南の方のバール。早い時間はハッピーアワーでドリンクは安く、ちょっとしたつまみはタダで食べられる。だから一杯しか飲まずに何時間もしゃべり続けるイタリア人にとっては、3〜4ユーロもあれば夜は過ごせるのだ。
 イタリア人は 3人いた。仕切り屋のようによくしゃべる男が一人,それに相づちを打つように相手をする男。その脇にイタリア人相手の日本語教師の女性。もちろん僕は彼らとは初顔合わせ。僕は彼らを知らないし,彼らも僕を知らない。でも話す内容と言えば,よくわからない。イタリア語を理解しきれないというのもあるが,正に内輪の話に終始している。日本人がいるのに日本語を話そうともしないのも理解できない。日本が好きなのではないのか? 日本語を話そうとすればたどたどしい。
 何故日本人と空間を共有しているのか?
 僕には理解できなかった。彼らはただ自分がよく知っている友人と一緒に、自分のよく知っている事を話したかったのだろうか? 僕は新しい感覚を取り込みたいがためにここに来ているのに,共通項を見いだす事もないまま,お互いが近寄る事もないまま平行線をたどる事が怖かった。もったいない。
 一人が僕に何をやっているのか話しかけてきたものの、そこから広がる話もたかが知れている。彼らはミランが勝っただとか、デルピエロがどうのこうの、ではなく「彼は」「彼女は」という自分たちの作り上げた空間の中にいる存在を面白おかしくしゃべり続けている。その彼や彼女が一体どういう何者なのか知るよしもない。そこに僕の入るスキなどない。それとも入ってこられるのが怖いのだろうか? 自分を変えたくないのだろうか?
 彼らが言うには話の腰を折っても話に入ってくれば相手にするという。確かに海外ではそういうものである。自己主張なしに、誰かが自分をわかってくれるだろうなどと、受け身の期待をしていても道は開けない。一つ言えるのは、この場がどういう場であるかという事。彼らも仕事が終わり,頭悩まされる過酷な労働から解放されてまで,日本語で頭を悩ましたくない気持ちもわかるし,真面目な話よりアホな上っ面の話で気楽でいたいのもわかる。人の余暇をどうして僕が奪えるだろうか? 彼らには楽しんでもらいたいと願うばかりである。ただ端から見た僕が感じたのは、何の魅力も感じられない彼らと自分のエネルギーを費やしてまで彼らと関わる事で、どれだけのものを手にすることができるのだろうか? そう思えば一晩だけの出来事。僕は彼らの人間観察に時を費やした。
 人はいろいろいる。イタリア人の中でもいろいろといる。イタリア人でも痛みというのを理解している人はもっと動きが違っていた。そういった僕が出会って来た人とは異なる、いわゆる一般的なよくあるイタリア人像の彼ら、そんな人間模様を垣間見られた事はそれはそれで有意義だった。
 日本にいたころの職場で、まわりが中国人ばかりのことがあった。当然中国語で会話がやり取りされることがあり、やはりその輪に加わることはできない。ある日、一人の中国人女性がみんなの前では日本語で話しましょうと切り出した。言葉で壁を作っているわけだったから彼女はナイスと思った。そう考えると日本語のわからないイタリア人の前で日本人同士日本語で話すのはよくないこと。だが日本人は得てしてやってしまうものである。自分たちにとってはわかるものだからいいが,外国人にはわからないし,何を言っているか、何を言われているか気になるものである。気まずくもさせてしまう可能性もあるという事。
 ホントに笑えたのは、彼らは話す人間同士でしか顔を向けあわない。顔を向ける方向で外部に対して完璧に壁を作り上げていた。それからもっと笑えるのは、みんなと僕との会話は僕を誘った知人を介して行われていたこと。みんなは知人に僕のことを質問して、知人が僕のことを答える。本人と直接やり取りすればいいのに間接的にやるのは日本人ぽさすら感じられた。
 イタリアの集合住宅のつくりを見ると、必ず中庭に入ってから自分の部屋の入り口に行く構造になっている。周囲は囲まれていて,外部とは仕切られている。また各都市との構造を見ても昔の城壁の名残が必ずと言っていいほどある。城壁によって敵や他国からの侵略を守るためである。こんな事を見るだけで,この国の人は深層の部分では外部から自分の領地を荒らされる事を無意識のうちに嫌い、守る事に終始しているように感じる。
 仕切り屋の男が自己満足的にみんなの前でしゃべりまくっているのを見て「あいつしゃべりすぎだから、あいつをストップさせたらいい」と隣りにいる知人に言うと「彼がしゃべって雰囲気を作るのがいい」といっていた。それは僕にとってはどうでもいいことだが、少なくとも日本においてそれでは参加している個々の個性なしで時間が過ぎ去っていく。個々がしゃべる時が必要だと僕は考えていた。彼の個性だけが露出していたところでそんなのどうでもいい事である。日本人ならもう少しお互いの接点を見いだす努力をするはずである。そのとき人が何を感じているか察することのできるこの繊細な感覚は、言わないとわからない海外の人間と違う日本人の美しい感覚だろう。行間を読めるというか機微を感じられるという事だ。
 しゃべりすぎの男が隣りの日本人と二人でしかわからない話を始めると、途端に場は静まり、彼ら二人と関われなくなったイタリア人もあきれていた。正にそれがこの時の僕の立場であったが,それが彼らにわかっただろうか? そんなことをわかって欲しいという事ではなく,そういう関わりを作らない事をこの国ではそういうもの (当然のこと) と考えているというからおかしい。ただ次第にその場は他の人間同士で話し出す空間を作っていた。
 僕は疲れて途中で席を立ったが,金曜の夜だけに彼らがいつまであの空間を楽しんでいたかと思うと,ゾッとしてくる。ひきめでこういう不思議な人間模様を冷静に分析するのも面白かった。


 テレビでロベルト・ベニーニが大学のようなところで芝居のようなしゃべりで講演のようなのをしていた。一体なんなのかはよくわからないが、ベニーニを見るのは珍しかったので撮ってみた。



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2006年4月 3日 (月)

19:00 憩いの場

 イタリアの中ではミラノもまだ都会の方だが,そんな街の中で落ち着ける風景と出会ってきた。日曜日でバスもトラムも本数が少なく,澄み渡った空とともに何か見つけられるだろうと、歩いて家路についた。
 通りの名前は Via Morgagni。老人たちでいつもにぎわっている通りの横を普段はバスで横切っていた。何をしているのか興味があった。ジェノバのボッカダッセの老人たちがよくやっている球投げに似ている。日本でいえばゲートボールのようなものだろうか?
 そのとなりでは石の椅子とテーブルがあり,カードゲームをしている老人たちが集う。これはリオに行ったときに見たような光景だった。まわりには野次馬が絶えず,僕がカメラを向けると怒るわけでもなくオバチャンが「フォトーグラフォー」とチャチャを入れてくる。
 更に進むと公園があり、父親と子供が戯れる姿があった。無邪気な子供が大きめのボールを無意識に投げると下を向いていた父親の顔面に当たり、一瞬怒りそうな顔で見上げるが、笑っている息子を見るなり怒るに怒れない親の表情に安堵を覚えた。
 最後に閑散とした空き地には犬が走り回っていた。メスの上にオスが乗ったりして「ヒーヒーハーハー」言いながら走りまくっていた。通りがかりのジジイババアも僕の顔を見ながら笑って過ぎ去っていった。
 現在時刻 19:00。陽はまだ沈まない。



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2006年3月30日 (木)

花の表情

 家の近くの停留所でバスを降りると懐かしい空気を感じる。わずかながらの色に僕が反応したのはピンク。ソメイヨシノの発祥地で育った僕は、小さいながらも車が走り抜ける通りの横で生き抜くサクラに心を奪われる。子供の頃に味わったのは、ソメイヨシノの花のアーチをくぐり抜け学校へ通った日々であり、まるで花が僕を迎え入れてくれているようだった。陽の光とともに伝わる温かさに感謝して、サクラの美にひたる。
 イタリアでは花見の習慣はない。イタリア人の住むベランダにはかなりの割合で植木が置いてある。心の余裕というべきか、とても愛らしさを感じさせてもらえる。イタリアを歌舞伎と例えるのであれば,日本は能。僕が思うに能は静かな中に生きる温度を感じさせる芸術のようで,日本独特のものであり、自分の作風に近い気がする。
 ゴロゴロ鳴り響いていた雷もウソのように,暖かい春の陽気が射してくる。駅前ではスケボーをしたり、サッカーボールとじゃれあう少年たち。バスに乗り込むと「ヴァレリアー! ヴァレリアー! 」と呼ぶ男の子が二人。当のヴァレリアはお母さんと一緒に席で落ち着いていた。呼び声に気付いたヴァレリアはスッとドア付近まで近寄り、手を差し出して合図を送る。何気ない風景に心も温まる。一度サヨナラをして距離を置いても、それでもまだコンタクトを取ろうとする。
 こんなやり取りを見る度にいつも日本人の距離感の長さを想う。子供であるからこのような風景は日本にいても皆無ではないにしても、懐かしめるのは何故だろうか? 例えばドゥオーモに行く車内アナウンスのない地下鉄の中で日本人と出くわしたとして、僕が予想するのは真横にいながら「次ドゥオーモだよね? そうだよね?」とわざと僕に尋ねるかのように、隣りにいる友達か恋人に確認する。この辺、中国人はたくましいというか区別がつかないのか、日本人にはよく声をかけてくる。
 日本人はサクラを美とする。それはなんとなく絵画的な気もする。生き方も伝統的に静けさを他人に読んでもらうものののようだ。日本人の心の根に息づいているものなのだろう。
 クリスマスから大事に温室育ちにさせていたポインセチアもこの暖かさに機嫌を良くしたのか、いつになく元気そうだった。彼が生き続けていてくれるというだけで彼は僕を楽しくさせてくれる。



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2006年3月26日 (日)

LA NOTTE BIANCA

 春の足音が聞こえてきて、夜になっても体が温かくなってきた。ずんぐりむっくりのジャンパーを着込んでいるのはアフロ系くらい。ヨーロッパを始めとした世界各地ではこの日深夜を境に時差が生じる。北半球ではいわゆるサマータイムになる。ミラノでは LA NOTTE BIANCA (白夜) と称し,夜通しお店も開いているようである。早いこと日本でもこの制度が施行されることを望む。
 ブエノス・アイレス通りを歩くと,そこは夜通し歩行者天国になっていて遊園地と化していた。メリーゴーランドから観覧車、UFO キャッチャー、重量ゲーム、エアードームのような滑り台、遊戯施設、まぁとにかくいろいろとあった。バールも本屋もベネトンも靴屋もかなりの店が開いていた。東京で言ってみれば原宿から渋谷までの明治通りに遊園地が広がってしまったような感じか? 公衆電話の受話器の向こう側の聞こえない声と話をする子供、砂ぼこりのようなものを手に路上で小物を売るオヤジ,サンシーロから瓶ビール片手になだれ込んできたミラニスタ,様々な人間模様が見えた。
 さすがにここのところ朝は陽の光が差し込んでくるのが早く,寝起きの悪い僕もサマータイムにあわせたかのように勝手に体が反応してしまう。翌朝にもなれば同じ時間でも少し暗い朝を迎えることになるが,しばらくすればまた同じように明るい朝になる。北欧にもなればそれこそ白夜になると言われるが,僕はまだ体験したことはない。でもイタリアでも時間を勘違いするほど日が長くなるのを知っていると,その感覚もわからないわけではない。いやしかし純粋にどうしてこんな現象が起こるのだろう。と考えてみた。こんな事を思うたびに子供の頃もっと勉強しておけばよかったと思う。これは地学だなぁ。
 こういうことは大人がよく感じる事であろう。子供の頃にそういったことを聞いて、頭ではわかるが別に本気にはならないものである。それは当然だろう。知識なんて僕に言わせれば意味のないもの。実際に見て聞いて体で感じて実感したものが、自分のものになるのである。何故時差が起きて何故日中の時間が長くなるのか? ちょっと理屈をイメージすればわかるんだろうが,そう思ったときに知ればいいのである。子供の頃にいやいや知識を詰め込まれても、実感など湧かないし身に付かない。海外に出ていろんなものを見て回ってきたが,その度に知りたい事ばかり出てきた。学生のときにすら学ばなかった事まで。
 土地の空気を感じ,そこの人と同じもの食べ,そして共に歩く。何が彼らの悲しみなのか? 何が喜びなのか? 何が必要なのか? ウォール街のスーツを身にまとったり,マサイ族とジャンプをしたり,ハバナで葉巻を買わされてみたり、ボスニアの街角でサッカーボールを顔に受けたり,その人間と同じ境遇に触れて同じ目線に立って感じないとわからない。笑いながら相手の弱点を突っ込めるような状況が理想である。ウソの理解など彼らは欲していない事にも気がつく。




 世界一周した時は一日に一時間ずつ長くなって 25時間生活していたときが24回あったものの、ある日突然消える日が生じるのだ。実質生きている時間に変わりはないが、概念として一日が消えてもったいないような気もした。
 時差に慣れていないと、翌朝まで気が気でない感覚が続く。翌朝は必ず日曜ではあるものの,待ち合わせの時間などを間違えるととんでもないことになる。ちなみにこのココログで時差の生じる存在しない時間帯に投稿の予約をすると「問題が発生しました。」と出て投稿できない状態になった。以下

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2006年3月10日 (金)

カルチョ狂

 我が家にカルチョ狂がやってきた。ペルージャに住むサッカーチームの監督を目指す日本人である。彼はサッカーの本場イタリアで公認ライセンスを取得し、世界的な指導者を目指している。なんとも素晴らしい夢なんだろうか!! 日本でも幾多の夢かなえたい人に出会ってきたけれども、海外に出れば本気のレベルもケタ違いである。サッカーなんて詳しい事は僕にはわからない。けれどもサッカーを熱く語る彼の眼差しにはやはり引き込まれるものがある。

 彼はおかしい。何かが違う。狂っている。

 イタリア人の中に飛び込んでいって、日本の指導者たちとの違い、文化の違いを肌で感じている。そしてそれを一歩引いた目で分析し、自分の中に取り入れる。僕の場合、監督とはいっても人を率いるというよりも、むしろアーティスティックな部類。彼のように指導者であるという事はイコール、よりよい方向へと導く、人の人生を左右しかねない人物だ。ある意味、未来の地球を背負っているようなもの。僕自身、彼にかける期待は大きい。世の中をもっとよくする可能性を秘めているからだ。
 イタリアと日本の違いを目の当たりにしているという事は、お互いの良さも知っている。もちろん日本人が世界と対等になれることも知っている。プロのフォーメーションを見ても自分ならこうすると僕に語りかける。理屈を聞けばなるほどとわかる。であるならば実際に彼の監督するチームのプレイを是非見てみたい。
 非常に勤勉なところがいかにも日本人ぽいが、サッカーを指導し,観戦し、そして自らプレイする。サッカー漬けの日々は僕にはうらやましい。すべてがサッカーに染まっている。サッカーを通して人生を見ているんだろう。ホントただのキチガイだ。
 そんな彼がポツリと言っていた。非常に人間的で根源的な願いだと思う。
「器を大きくしたい」


『カルチョ革命』


 ところで今回お送りする映像はかなりのレアもの。数年前ミラノに鈴木清順監督が来られたときに案内したパルマ・ランギラーノの生ハム工場でのワンシーン。絶え間なく「ハァハァ」呼吸して、いまにもコロッといってしまうんではないかと思った。プロデューサー「監督をここまで歩かせたのは君だけだよ」僕「次回来られたときは安心して下さい。もっと歩いてもらいますから」こんなイタリアンなジョークをかましてその場をなごませたのでした。いま監督が酸素ボンベをしているのは僕のせいだったかもしれません?? 「ピストル・オペラ」公開後「オペレッタ狸御殿」製作前でした。そういえばこのおっさん「一期は夢よ、ただ狂え」って言ってた。
 写真はその工場で作られた職人さんからもらった生ハムのかたまりです。本場の生ハムは昇天してしまいそうなくらいうまくて、最近になってせっかくもらってきたものもホンのわずかしか残っていません。これもあと少ししたら消えてしまう・・


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2006年3月 9日 (木)

Festa della Donna

 ミモザの花が街に溢れるこの日、僕は街に出ていた。いたるところに黄色が見られるのに、なぜか赤いものもよく見えた。そしてビール瓶も転がっていて、ゴミ収集車も拾いきらずにゴロゴロと転がる音が鳴り響いていた。穏やかなはずの街に怒号と人影が飛び交っていた。チャンピオンズリーグ決勝のミラン VS バイエルンがサンシーロであり、ドイツ人がわんさかとやってきていたのだ。
 サッカーの国に来ながらサッカーに疎く、しかも品のない騒音と呼べるようなものにはかかわり合いたくない僕にとっては、厳しいものがあった。旧式の建築物が並ぶ街並の中に突然現れたサッカーボール。ドイツワールドカップのモニュメントだろうか? そんなものまであるミラノの中心。
 すかさず裏路地に逃げるように入り込んでいった。そこには普段では気がつかなかった美しい街並と出会うことができた。静かな雰囲気と落ち着ける空気が流れていた。小さなミモザにも出会えて心が安らいだ。


国際女性デー


 僕が作品を生み出したりイメージしたりするときは、大抵は電車での移動時間とかトラムの待ち時間であったりする。自分一人で横やりがなく没頭できるときである。
 ネットラジオを聞いていると「パン」の話題だった。パンといえばさえない一人暮らしを続けていた僕には、コンビニにふらふらと立ち寄って買う「カレーパン」「コロッケパン」などヤマザキパンシリーズにはよくお世話になっていた。そんな手軽に何でも手に入っていた頃が懐かしく思う。
 夜おなかがすいたらどうするか? スーパーも平日なら 21 時頃までは開いているものの、コンビニなどありえないし、スーパーはおろか 24 時間営業の牛丼屋などの飲食店などもない。ということは普段から買い込んでいる食材を使ってチャッチャと料理する他ないのである。
 そんな環境にいたらいやでも料理ができるようになるし、先々のことを考えてそのときの行動をとる。明日は日曜だからいまのうちに食材を買っておこう。振込も時間帯と場所を選んでいつ行こうと決める。そう、先読みをしておかないと生きずらいのである。
 この国には不便なことが多い。ましてや東京から来た僕には落差が激しかったはず。ただ逆に僕はその状況を楽しんでいた。日本に漬かって生きている人にとっては受け入れるのに苦労するだろう。日本と異なることに対して頭に血を上らせているアホな人を見るたびに思う。柔軟性に欠ける日本人は島の中でしか生きてはいけない民族なんだろう、と。目先の事にとらわれずもっと俯瞰からモノを見ればいいのに・・
 ないことはいいことなのか?
「モノがなくても心が平和であれば」などと人はよく口にする。モノがない不便ということは裏を返せば、先進国の人間と同じレベルで生きていくためには工夫をせねばならない、ということである。おなかを満たすためのアイテムにかけるのであれば、先読みをして買い込んでおく。そのとき人間の起こす行動とは「考える」ということ。であれば現代の日本の人たちはその「考える」部分をイタリア人に比べたら省略化して生きているということである。
 ミラノの街中でも夜中に割高のパニーノを売っている屋台もある。例えばそれを数ある選択肢の中に入っていれば事なきを得られる。家に買い置きがあってもいいわけである。日本人が突然そんな事態にさらされて対処できるのか? ちょっと歩けばコンビニのある時代。何でも手に入る。どうなんだろうか?
 ときたま思うのは、スポーツの状況判断にしても映画のクオリティにおいてもいえるが、この「考える」ということの深さが海外と日本とでは圧倒的に差があるように見える。想定していた事態とまったく異なる現実に遭遇して、それでも受け入れて対処していけるかどうか?
 火炎瓶を投げつけたりして阪神ファン以上に命がけでクラブチームを応援するサポーターの狂気の前で、セリエ A の選手はどれだけの想いで試合に臨んでいるのだろう?
 映画にしてもそれは常にないものからの創造である。写真や映像ひとつ撮るにしても、イメージに合わないロケ場所、天候などいろいろとあるだろう。ただそれは日本にいても同じ事がいえる。一つの事に当たったとして、それがかなわなければすぐにその場で別のパターンで対応せねばならない。しかも伝えるべきことをはずさないように。それが得てして変更した後のパターンの方がよかったりすることもある。
 撮影時にもう少し高いポジションで撮ればいい映像が撮れる。そんなときに必要となるもの。高さだけなら背伸びをすればいいが、撮影に肝心なのはブレをなくす事。ならば高さプラス安定。そこまで確実にやるのであれば箱足のようなものをどこかから手に入れないといけない。
 最近の僕はグラウンドレベルで撮影することがある。となるとほんの少し地面よりレンズを上げればいい。となると指をカメラの下に入れて微調整する。
 どうでもいい話になってきた。アーティストというのは状況を受け入れ、何もなかったかのように対処していく。「考える」環境にあるイタリアを始めとした国々の人々はそのへんがうまいように思う。アーティストとは常に考え、それまでなし得なかったものを生み出していく人々である。
 人の心を動かし、人が気付かなかったものに気付かせスポットを当ててやるのである。

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2006年3月 4日 (土)

テーマは明かり

 イタリア人の友人宅に招かれて夕食を共にした。とにかく驚いたことは、アートに造詣が深い彼女ではあるが、なんと空間のショーアップの仕方の素晴らしいことか!! まったくさりげなく、大げささもなく、そのまんま地を活かしているとでも言うべきだろうか? シンプルな中にオシャレを感じるのだ。
 僕にとってその最たるものは、今年始めから影響の多い室内照明の美しさ。蛍光灯で空間すべてを明るく照らし出すのではなく、中途半端にわざと間接照明にしたりして、明度を落としているのである。壁の所々にかけられている絵や彼ら自身の写真は映画を切り取ったようだ。自分でやっても画にならないのが残念である。そして手作りの小さなミニチュア。パソコンの置いてある木机はモダンなようでいて素材を活かしているのがイタリアらしい。
 と、インテリアばかりに目がいってしまったが、彼女の作る料理にも一目置いた。彼女はベジタリアン。どんなものが出てくるのかは興味があった。前菜とプリーモの間のようなスープが一皿目。緑色のスープは葉っぱ系の味ではなく、豆料理だろうか? とにかくこれはうまかった。二皿目は野菜煮込みと魚。東京人の僕には塩こしょうが欲しかったが、きっとこれがイタリア人独特の素材の味を活かしたおいしさなのだろう。そう考えるととてもうまかった。日本だけで生活していては味わえない気分に浸れたのは、いろんなマイナスをプラスに感じられる才能なのだろう。
 彼らと過ごす夜は、僕はいつも楽しい気分でいられる。
 ありがとう。
 心の底まで届いていることを願う。





 体調を壊していたうちの大家が復帰していたので、シルビアの部屋を訪ねる前に家賃を払いに行った。イタリア人であり更に老人であるということも加え、僕は毎月のように彼らの昔話を聞いている。シルビアたちとの約束もあるのに時間が過ぎていってしまう。きっとこれがイタリア人が約束の時間通りに来ない理由なのだろう。話し好きの人種は時間の価値観が日本人のそれとは少し異なっている。
 ところで大家夫婦はもういい歳のジジイババアでいつ死んでもおかしくないのだが、ミラノの役所から結婚 50 周年記念の額が送られていた。「おお! なかなかしゃれてんじゃん。警察もこのくらい粋なことしろよ」早いこと滞在許可関連の業務を役所の移行しろだとか、ベルルスコーニ退陣しろだとか思ったかどうかは別にして、こういうことは日本でもやるべきだ。
 僕もこれには感動して興味を示し写真を撮り始めると、大家夫妻も嬉しくなったのか? 子供の結婚式に出た時の写真まで持ってきてみせてくれた。ケツカッチンなのがすごく気になっていたが、彼らを喜ばせてあげておけばしばらくは家賃も上がらないことだろう。善行であることには間違いない。
 身内の人間には特に言えることだが、イタリア人は人間に優しいはずの民族である。


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2006年3月 1日 (水)

イタリアへの想い入れ・・

 外人として合法的に生きる以上、避けて通れない道。朝早くから警察へと向かった。毎度のことだが日本ではありえないことばかり起きる。ご存知の方も多いかと思いますが、イタリアでの滞在許可についてはいろいろと苦労が絶えない。どう考えてもおかしい対応の警察に振り回されながら、毎度ネガティブな気持ちにさせられても、前向きになるしかない。ある意味、そんなポジティブな人間形成をさせられるのはいいことなのだろうか?

 とにかくそんなこんなで寒い中、待ちくたびれた僕は家に帰り、近くのピッツェリアで昼をとる。「la tana del ghiottone」食いしん坊の館と訳すべきか? 僕の好きなシーフードピザはなかった。タマネギのピザとどっちにしようか迷った挙げ句「イタリア」というピザを注文した。

 Italia (pomodoro, mozzalerra, ruccola, pomodorino, ricotta) - 7ユーロ

 具だけを見て注文してみた。pomodorino は小さなトマトのことで、上にルッコラがパラパラとのっていればおいしいだろうと、その程度の軽い気持ちで注文した。ピザの厨房がオープンになっていて、かまども丸見え。ピザを作っているのは職人なのか? カメリエラ (ウェイトレス) が注文しても返事もせず、ときには怒ってみせたり。うーん。もしや写真など撮っていたら怒られるのでは? と思っていたが、カメリエラが「写真を撮っている」といっても無反応だった。
 出てきたピザを見て納得。左から緑のルッコラ、白いリコッタ、赤のトマト。しめてイタリアの国旗でございました。それで名前が「イタリア」見た目にはいいが、できればそれぞれを一緒に食べたかった。食べる時は別々になってしまうのがもったいない。
 ここの空間は照明が電球のみで薄暗い感じにしていたのがいい雰囲気に仕上がっていた。夜だったらもっとよかったかも。帰り際にすぐ近くでピザを作っていた職人に挨拶をしようか迷っていたが、驚いたことに席を立つと向こうの方から「サンキュー」と言ってきた。んー、イタリア人はわからないものである。そして昼だったせいか席料も取られず、しかもオーダー用紙をなくしてくれたおかげで「イタリア」7ユーロのところ 6ユーロで計算されていた。まぁ、生きていればこういういいこともあるさ、と前向きにいこうと思った一日だった。




あってはならないこと
 
 まだ夜もあけない午前4時すぎに目を覚まし、5時前には家から少し歩いた停留所でトラムを待つ。少ない通りはトラムがすいすいとかけぬけ、あっという間に目的地に着いた。朝早いので最寄りの停留所では降りられないので、トラムを降りてしばらく歩く。日本でいえば稚内と同じ位の緯度にあるこのミラノという街。もう3月になったとはいえ、凍てついたような寒さの中に放り出されれば、人はみな震え上がって当然だ。それでも目的のためにはそれは度外視する。
 警察の入り口の前には誰もいず、隣りの車のショールームにそれらしき人々がたむろしている。5時半だというのに、たくさん人がいる。これが外国人の生きるべき道である。待つ人々は南米系と中東の人々が多い。僕が申請に来たのは日本人はあまり申請しない変わった書類。インディオっぽい優しそうなおばさんに声をかける。するとリストを作って順番を取り仕切っているやつがいるらしく、そいつに言って待ちなさいという。その仕切り屋は警察の人間なのか? 違うとしたら一体何のために仕切っているのか? とにかくリストに名前を記入して待っていた。
 7時頃になるとその仕切り屋が列を作り始める。申請に来た輩はみな、自分勝手で遅れて来ていても前に入れろだとか、リストなんか関係ないだとか、とにかくなんだかんだと言う。僕はもうこんなのには慣れたが、日本人なだけに「おとなしくしてたほうがスムーズに行くのに」と常々思う。それでも自己主張すべきところでは強くならないと自分がバカを見るのが外国だ。
 僕は34番目だったが、リストも後方になるといい加減で、東洋人は僕とあと中国人だったので「お前はさっさと並んでいい」と仕切り屋に言われサッサと並んだ。普通に滞在許可をもらうにも列を崩したりして割り込んでくるのは当然なので、すべてが終わるまで何もかもに気を抜くことはできない。まわりではスペイン語がよく聞こえてくる。
 後続の人間が自分の前に行かれないように足を横に伸ばして立っていると「寒いからみんなの中に来ただけよ。あなたの前に出る気はないわ。安心して」というスペイン系の女が隣りに来たが、何も信用できない。こいつも遅い時間にやって来ていたやつだが、そいつはまだ穏やかだったから僕を抜かして前に出ることはなかった。
 あやしいのは仕切り屋が点呼していたときに来た「リストなんか意味がない」俺を先に入れろと言わんばかりに叫ぶ中東系の男。扉の開く予定の8時すぎになり、いざ警察に入るというときに、僕のずっと前の方に並んでいた中国人の通訳なのか? 列に並んでいなかった中国人が仲間のところに行こうとした時「なんでお前入ってくるんだ!」と自己正当化したかのようにして僕らの前に進む。すかさず僕はそいつを静止させ「とにかくお前は後ろに並べ」といい、僕の前にいた南米系の小さな女が罵声を浴びせていた。こいつは今日の登場人物の中でもヒトクセあるやつでマークしなければならなかった。
 まだ10人もオフィスに入れてもらっていない時点で「手に滞在許可書を用意しろ」と言われながらも一旦扉が閉められた。それでもしばらくはおとなしく並ぶ人々であった。しかしそのおとなしさも長続きしないのが外人であり、刻一刻と事態が変わっていくのが、先進国とは言い切れない事情の国での出来事だ。オフィスの開く公式の時間は8時半である。警察のオフィスの入り口近くには、この時間になってようやくやってきた人々が扉を開けようと試みる。警察に用事のある車が入る時を狙って警官に訪ねている人間もいる。
 その頃にはもうほぼ列は崩れてなくなっていた。9時もすぎ警察も出てこなくなったとき、いつのまにか事態はすべて変わっていた。さっき僕のとなりに来ていたスペイン系の女が仕切り屋になっていた。何かが変わっていたのがわかり、女がまたリストを作り各々名前を書き込んでいる。とにかく事態は読み込めなくとも名前は書いておかなくてはと思い、めちゃめちゃにされた順番だったものの、僕は自分の前にいた女は味方に付けておいた方がいいと思い、自分に回って来たペンを女に先に渡して書かせて、それから自分の名前を書くようにした。それからしばらく警察の前で待っていた。
 一体何の意味があるんだろう? と疑問に思いつつもそのまま待っていると、仕切り屋の女と列を抜かそうとした中東系の男が、ものすごくわかりやすいイタリア語で親切に教えてくれるのだ。「20時に来てこのリスト通りに並べば受け付けてくれる」と。僕はこの時点でピーンと来た。「きっと今日はダメなんだろうけど、とにかくこいつらの言うことを信じてはいけない」最初の仕切り屋はオフィスの中に入っていったが、だいたいこのスペイン系の女が何故仕切っているのかわからなかったし、もっとわからないのは中東系の男の豹変ぶりだ。
 僕は警官に事態を聞くまでは警察の前にいようとした。スペイン系の女を含め何人かは帰ったが、中国人や中東の男はうろうろとしていた。インド人っぽいオヤジは「夜の8時に来ればいいのにいつまで待っているんだ?」「そういうアンタもなんでいるんだ? アンタも帰りなよ」と言い交わす。
 やがて警官が出て来て言う。申請書類を引き取りに来た人の持っているチケットを指差して「このチケットを持っているやつは誰だ? そいつはいまここに並べ。申請に来た人間はまた明日の朝に来なさい」とだけ言ってオフィスに戻ろうとする。「ちょっとまて!!」「オフィスは閉まった」「オフィスは何時に閉まるんだ」「オフィスは閉まった」「何でだ!」「今日は規定の30人をすでに受け付けたから、また明日の朝に来い! リストなんて俺らには関係ない」10人すら入っていないはずのオフィス。それを考えれば列に並ばないでも受け付けてもらっている人間がいるのか? 先頭にいた中国人もあやしい中東系の男もとぼとぼと帰っていった。
 そういえば最初の仕切り屋に「昨日の晩に来てリストが・・」云々を言っていたやつもいた。毎日同じ争いを繰り返しているに違いない。僕は夜8時なんかに改めて警察に行くわけなんかない。これは手だてがない。何ができるかわからないが、次なる手段を講じるしかない。朝から4-5時間、クソ寒い中での出来事は寒さで疲れがひどく、そして精神的にも叩きのめされる。これが外国人としての生きる道である。できることなら歩むべき道ではない。しかしこの屈辱は記録として残しておくべきである。

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2006年2月28日 (火)

ムーロ

 ブエノスアイレス通りから一歩入った場所は庭のように開けている場所があり、池や噴水を見ながらバールで落ち着ける空間になっている。ちょっとした商店の集まりのようでもあるし、憩いをもとめる人たちがほっとするような感じでもあったりする。
 これはヨーロッパの建築形態の特徴なのであろうか? 僕は専門ではないのでよくわからないが、イタリアの建物、中心地の住居はたいてい大きな門のような入り口があり、そこをくぐり抜けるとまわりをパラッツォで囲まれた空間 (庭のような、そこに住んでいる人たちのための場所) が出てくる。
 知り合いが言っていたが、ことイタリア人は内輪で固まったりコネ社会であることと関係がある、と。外的から自分の身を防いで、自分たちの輪だけで集まる。それが建物にも象徴されるようにもなっている、と。それを聞いてなんかわかるような気がした。イタリア人のメンタリティも案外、開かれているようで閉鎖的な面はいろいろと見せられてきているし、いろんな理由を付けて自分のミスをごまかそうと言い訳するイタリア人というのは、そうやってガードを固めているのだと。イタリア人の奥深い一面が象徴されているのが、こういった芸術性の高い建築にも現れていたりもするのだろう。


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2006年2月26日 (日)

La Gaufreria

 僕は甘いもの好きではあるが、家の近くにワッフルを売るところがあるだなんて知らなかった。そのまんま「ワッフル屋」と名のついたバールの前の出店では、ミラノでも人気の商店街にあるだけに、外人や若人からたくさんの人が香ばしい匂いにつられてワッフルを手にしている。スラブ系の女の子4人組がみんなワッフルを手にしていた。ブルーベリーやジャム、桃などのソースがあったが、僕はチョコレートソースたっぷりのものを手にして、口の回りを黒くしながらがっついていた。
 香ばしく甘いもの。人はこれに弱い。特に女性は弱い。うーーむ。僕の映画もそんなあまーい誘惑に陥れるようなものにしたい。みんなをとりこにできるような。人の優しさ。温かさというものですな。




 今日は土曜日でトラムの本数も少ないだろうと思い、気持ち早めに家を出た。
 先週は間に合わなくてトラムの後ろ姿を寂しそうに眺めていた。仕方なくとぼとぼと地下鉄の駅のある隣りの停留所まで歩いて行くと、そのトラムが信号待ちをしていた。でもとろとろと歩いている僕の足では間に合わないだろうと思っていると、運転手が後方の扉を開けてくれて乗れてしまった。
 そんなことのあった翌週の今日。なんと今日も間に合わなかった。しかも今日は 5番のトラムが 2台一緒に走っていた。土曜日で道が空いているから、後ろを走っていたトラムが追いついてしまうのはよく見る風景だが、イタリアはなんでこんな無意味な走らせ方をするのだろう。
 と考えつつ、再び隣りの停留所へと向かい始めた。そして何の気なしに後ろを振り返るともう一台トラムが・・。なんと同じ方向に進む 5番がもう一台来ているではないか!! 僕はすかさず走りこみ乗り込んだ。??????????
 しばらくすると 3台がほぼ一緒になり、同時進行していた。僕は中央駅で降り、3台が続く異様な光景を目の当たりにした。対向にも 5番が走っていたので、中央駅前には 4台の 5番のトラムが走っていたことになる。写真では 5番とは確認できないが、3台のトラムが連なっているのは確認できる。


 5番のトラムが行ってしまったので、後続の 11番のトラムに素早く乗り込み、5番に追いついてもらってさっそうと乗り換えたりしたりしたこともある。

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2006年2月14日 (火)

ライフ・イズ・ベリィ・ハッピィ

 二人ともお酒はあまり飲まずほとんど僕一人で飲んでいた。それでも二人とも終始ご機嫌でいらっしゃった。今回は僕の方が招いたこともあって、ドルチェの差し入れがあった。彼らはクレモナの出身なのでクレモナのお菓子屋さんで買ってきてくれた「ラットゥーガ」というものをくれた。甘すぎず食べやすく日本食の食後でも構わず食べられた。
 人は生まれてきた環境によって自分と他人の間に軋轢を作ってしまうことがある。それがくだらない民族紛争につながったりもする。環境や考え方で人は違ってくるのは当然のことで、同一の人間など存在しない。だからこそ人というのは面白い。僕とは異なる考えに出会うことが好奇心をくすぐるわけであって、自分を理解してもらえないというのは決して悪いことではない。というよりも「あり」だ。それは当然なことであって、そのシチュエーションをいかにすごすかということが、人と人との間にあるものに温度を与えるか否かなのではないだろうか?
 フルビオは別の日本人の知り合いに教わった変なスシの食べ方をしていた。わからないことをわからないままですごしてみたりするのも、相手次第ではお互いプラスの感情にもなるうる。もちろん理解しあうこともいいこと。僕には笑顔をわけあえることが美しいことのように見えた。なぜなら「La vita e' bella」の国で「人生は素晴らしい」というより「人生は楽しい」という瞬間を体験することができたからだ。楽しく生きることのできるイタリア人には僕にとってそれなりにもっと学べることがあるようだ。

フルビオが残した書き置き
bellissima cena, grazie mille -- 素敵な夕食ありがとう



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アートな夕食

 友達のシルビアとその彼氏フルビオを自宅に招いてスシをごちそうした。そりゃもちろん僕の手作り。シルビアはベジタリアンだけにちゃんと食べてもらえるか心配だったが、そつなく食べてくれた。フルビオにいたっては味噌汁はもちろん、納豆から山芋までなんでももぐもぐ気持ちのいいくらい食い尽くしてくれた。
 イタリア人とご飯を食べるときはいつものことだが食事より話がメインになる。相手が日本人のときでも冗舌ではない僕だが、シルビアたちとご飯を食べるときはかなりの割合で僕も話に加わっている。シルビアはイタリア人にしては真面目な方で、イタリア語がペラペラではない僕にも気を使ってくれている。
 シルビアは学生をしながらもアート系の仕事も頻繁にやっている。フルビオはうちの近くの施設で映写技師をしている。そんなこともあって二人とも僕のいわゆる「工房」をのぞいていた。かなり興味津々にパソコンやアプリケーションを確認していた。僕にとっては大切な仕事のツールだけど、それなりのものがそろっていたから少し興奮していた。そんな二人は僕の映画にも協力してくれている。もちろん「GLI ARTIGIANI」に登場する予定である。


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2006年2月11日 (土)

オリンピック開幕

 ようやくやってきたイタリア国内では盛り下がっているオリンピック。オリンピックなのかオペラなのかコンサートなのか、まったく趣旨が見えてこなくなっている開会式をダラダラと見ていた。ホントに意味のない演出ばかりで何をしたいのかわからないし、大切な部分がよくわからなかった。ソフィア・ローレンやマータイ、オノヨーコが出てくるのにも理解できない。
 そんな中、イタリアの国防省警察官のカラビニエーリが出てくるではないか! いつもやる気なさそーに街の中をふらついている彼らなのに、ブラウン管の向こう側の彼らは引き締まったような (?) 顔をしていた。「お前らうそだろー。そんな気張るんじゃねえよ」と言おうか言うまいかという瞬間、彼らのそろっていたはずの足並みがずれていた。「やっぱり・・」それでこそカラビニエーリだよ。君たちはやはり人間らしい。そんなに気張ったって隠せないよ。ガタガタ言っていながらも僕はかしこまった日本人よりも人間味あふれるイタリア人の味方だったりする。

「晴れの舞台だ! ガンバレ!」


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2005年2月11日 (金)

イドラウリコが来た

 イタリア語でイドラウリコ (Idraulico) とは配管工の職人のことだ。便所が流れなくなり,流しのバーを回すと異音がして水が流れなくなる。もともと日本の便所とは作りがまったく違い,そんなちっぽけなことでも、わざわざ大家に連絡して配管工を呼び、アポイント日を決めて修理に来てもらわなくてはならない。
 治らなければ、また日を改めて来てもらわなければならない。時間がかなりかかる。イタリアの建物は古いものが多いが、僕の住んでいる部屋は中も古い。おかげでここのところガタが来ていて頻繁にモノが壊れる。今日来たイドラウリコも先日シャワーの栓を修理に来てもらったばかりだ。
 イタリアにはスーパーもあるけれども、それと同じくらい個々の商店も存在する。肉屋、魚屋、果物屋、八百屋,等々。そしてそれと同じく電気修理や配管工のような職人もたくさん存在する。その道のエキスパートというわけだ。これこそが職人を育む土地、イタリアたるゆえんである。
 そういえばいま僕の職場の電話線の調子が良くない。テレコムという、日本でいうNTTのようなところに問い合わせをするのだが,この対応がまた日本人の応対とまったく違う。電話線がおかしいからテレコムに問い合わせているのに、テレコムのせいではないという。
 そして呼んだのが電話配線業者。彼がいうにはテレコムのせいだという。テレコム側がいうすべての問題をうちらは解消しているのに、電話回線が回って来ていないという。
 とにかくテレコムの人間に来てもらうことになり,その日がやって来たのに誰も来ない。翌日、問い合わせてみれば人を送ったという。こちらは一日待っていても来なかった。堂々巡りである。イタリアにありがちな風景でもある。
 イタリア人は自分の過ちを認めないものである。だからこのケース、きっと人を送り忘れていたんだろうが,それは認めてはいけない。テレコムのような会社ですらこうである。きっと歴史的なものから来ているんだろう。過ちを認めてしまうということは屈服したことになる。
 彼らは僕ら側の責任だということですぐに再度人を送ることをせず,人を送るべきなのかどうなのか検討するという。わけのわからない結末となる。

 かたや・・
 うちに来たイドラウリコは僕があまりイタリア語がわかっていないと思っているのか、盛んに「PORCA MADONNA」「VAFFANCULO」を連発する。「CAZZO NON C'E' PORCA MADONNA」等、最低なくらい汚い言葉を発する。こういうのをパロラッチャと言うが,外国人はこういう言葉から言葉を学ぶものである。だから僕は彼の言っていることはすべてわかっていた。
 きったない服装に汚いキャップをかぶっている。でも僕への対応は殊に紳士的である。そのギャプがまた面白いのだが,このオヤジ仕事ぶりを見ているとホントに真面目である。僕がバカな南イタリア人を最初に見てしまったのが悪いのか,最近イタリア人の仕事ぶりには感心させられる。もちろんそれらはすべて職人さんたちだが・・
 オヤジが抱えているカバンの中には数々の道具が宿っていた。ドライバーやペンチ、ノコギリ、潤滑油等、バラバラ出していた。栓のネジを取り出して,ノコギリを手にする。
「えっ?」
 と思っていると,ネジを切り始める。ビックリしていると難しそうなのに小さなネジのわずかな厚さを切り落としていた。しかも赤いものがちらりと見えた。バロラッチャを吐いてばかりだったと思ったら,正反対のこの根性には頭の下がる思いがした。
 結局は完治しなかったのでまた月曜に来ることになった。時間はかかるのがイタリアなのである。

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