春の足音が聞こえてきて、夜になっても体が温かくなってきた。ずんぐりむっくりのジャンパーを着込んでいるのはアフロ系くらい。ヨーロッパを始めとした世界各地ではこの日深夜を境に時差が生じる。北半球ではいわゆるサマータイムになる。ミラノでは LA NOTTE BIANCA (白夜) と称し,夜通しお店も開いているようである。早いこと日本でもこの制度が施行されることを望む。
ブエノス・アイレス通りを歩くと,そこは夜通し歩行者天国になっていて遊園地と化していた。メリーゴーランドから観覧車、UFO キャッチャー、重量ゲーム、エアードームのような滑り台、遊戯施設、まぁとにかくいろいろとあった。バールも本屋もベネトンも靴屋もかなりの店が開いていた。東京で言ってみれば原宿から渋谷までの明治通りに遊園地が広がってしまったような感じか? 公衆電話の受話器の向こう側の聞こえない声と話をする子供、砂ぼこりのようなものを手に路上で小物を売るオヤジ,サンシーロから瓶ビール片手になだれ込んできたミラニスタ,様々な人間模様が見えた。
さすがにここのところ朝は陽の光が差し込んでくるのが早く,寝起きの悪い僕もサマータイムにあわせたかのように勝手に体が反応してしまう。翌朝にもなれば同じ時間でも少し暗い朝を迎えることになるが,しばらくすればまた同じように明るい朝になる。北欧にもなればそれこそ白夜になると言われるが,僕はまだ体験したことはない。でもイタリアでも時間を勘違いするほど日が長くなるのを知っていると,その感覚もわからないわけではない。いやしかし純粋にどうしてこんな現象が起こるのだろう。と考えてみた。こんな事を思うたびに子供の頃もっと勉強しておけばよかったと思う。これは地学だなぁ。
こういうことは大人がよく感じる事であろう。子供の頃にそういったことを聞いて、頭ではわかるが別に本気にはならないものである。それは当然だろう。知識なんて僕に言わせれば意味のないもの。実際に見て聞いて体で感じて実感したものが、自分のものになるのである。何故時差が起きて何故日中の時間が長くなるのか? ちょっと理屈をイメージすればわかるんだろうが,そう思ったときに知ればいいのである。子供の頃にいやいや知識を詰め込まれても、実感など湧かないし身に付かない。海外に出ていろんなものを見て回ってきたが,その度に知りたい事ばかり出てきた。学生のときにすら学ばなかった事まで。
土地の空気を感じ,そこの人と同じもの食べ,そして共に歩く。何が彼らの悲しみなのか? 何が喜びなのか? 何が必要なのか? ウォール街のスーツを身にまとったり,マサイ族とジャンプをしたり,ハバナで葉巻を買わされてみたり、ボスニアの街角でサッカーボールを顔に受けたり,その人間と同じ境遇に触れて同じ目線に立って感じないとわからない。笑いながら相手の弱点を突っ込めるような状況が理想である。ウソの理解など彼らは欲していない事にも気がつく。



世界一周した時は一日に一時間ずつ長くなって 25時間生活していたときが24回あったものの、ある日突然消える日が生じるのだ。実質生きている時間に変わりはないが、概念として一日が消えてもったいないような気もした。
時差に慣れていないと、翌朝まで気が気でない感覚が続く。翌朝は必ず日曜ではあるものの,待ち合わせの時間などを間違えるととんでもないことになる。ちなみにこのココログで時差の生じる存在しない時間帯に投稿の予約をすると「問題が発生しました。」と出て投稿できない状態になった。以下
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