イタリアンスマイルズ

  •  こちらのブログはイタリア在住の映像作家池田剛の撮影する映像とエッセイを掲載しているものです。製作中の映画「GLI ARTIGIANI」の映像を始め、イタリア各地の心温まる映像ビデオポッドキャスティングという形でお届けしています。

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2010年1月12日 (火)

ARNOLDCOFFEE

 この街にもスターバックスがあるというので行ってみました。スターバックスというのは嘘ですが、限りなく近いです。イタリアにもこんなに落ち着ける店があったんだなと目からうろこ。

 イタリアのバールといったら、いろんな人が集っておしゃべりするところ。ま、こんな風景に憧れていた部分もあったのだけれど、全部が全部それだとちときつい。

 日本にいた頃はファースト・キッチンみたいな店でジュース一杯でねばり、書き物にいそしんだりしていた。そんな環境がほしかったわけで、この店は学生街にあるだけに、そんな感じの学生ばかり。落ち着いた雰囲気で急かされそうなこともない。

 ここは僕の秘密の創作スペースにできるかも。。


2006年9月11日 (月)

BUON COMPLEANNO!!!

 友人の誕生日パーティーに呼ばれた。イタリアでは誕生日の人の方が、みんなにふるまうというが、その通りまわりはイタリア人だらけのこじんまりとした食事をした。イタリア語が飛び交う中、その友人はいつも気を使ってわかりやすく言い直してくれる。ほんとにその気の使いようには頭が下がるばかりで、日本人以上にも思える。
 魚と野菜の串焼きや、焼魚がコロコロとたくさん入った器、生ハム、チーズ、パン。スカスカな感じで食べた気がしなかったものの、ジェラートからコーヒーまでもらって満足。彼氏の方がすべて用意していた。BRAVO!!
 プレゼントをみんな持ってきていて、時間がない中、僕も一応用意していた。服とかDVDとかおもちゃ等、ちょっとシャレたものを持ってきていたのに、僕は竹とんぼ。日本らしくていいだろうと持ってきたけど、僕のが一番安っぽくて「やっちまった」しかし意外にも僕の予想通り、その物珍しさにみんな夢中になっていた。ホッとした。
 いつも気を使ってくれる彼女に今日は BUON COMPLEANNO!!! 誕生日おめでとう!! 楽しかった!



2006年7月11日 (火)

Campioni del mondo!!

 ワールドカップ優勝のさめやらないここイタリアにアッズーリたちが帰ってきた。ローマのチルコマッシモでセレモニーがある。夕べの大騒ぎから一夜明けた今日、ミラノの街はいまだに「イ・タ・リアッ、イ・タ・リアッ」の雄叫びとイタリア国旗のオンパレード。ワールドカップ優勝国にいられるなんて、そうあることではないので僕もその雰囲気にひたっていた。
 しかし肝心の試合。イタリアは押されていた。ジダンの退場。汚点だろうか? むしろ最後して最大の記念、記憶に残る珍プレー大賞ではないか? あと少しの未熟さが彼をこういう終わり方にさせてしまった。フランス国内ではマテラッツィが祭りあげられ、ジダンの美談として語られていくのだろう。そんな終わり方もありではないか? 逆にそういうフィナーレを演じていたのでは?
 そして僕が笑ったのはトレゼゲ。それこそイタリアに買われていたんではないかと思わせられるようなプレー。あのPKのとき、何となく予感はしていたが、チームメイトのブッフォンもしてやったりか?
 そんなこんなでいろいろとあり、これからも一波乱あるイタリアカルチョ。とにかくティフォージ同士の争いのない、イタリアが一体になっている国の姿は美しい。こんなイタリアは素晴らしい!! こんな状況の中、よくやった! Grande Italia! Grande Azzurri!


 映像のイタリア人はここに出てくるイタリア人そのまんまです。
Europa&Italia


 果たしてイタリア代表の中にネプチューンがいたのは皆さんお気づきだろうか?

2006年5月 6日 (土)

Pizza OK

 あのカルチョ狂がミラノに再上陸した!
 チャンピオンズリーグもセリエAも終わりだというのに、ミラニスタと言えど何をいまさらミラノに? 思えば去年籍を入れたはずのカルチョ狂の新婚旅行はまだだった。スペインへのカルチョの旅ついでのミラノへのご挨拶訪問。カルチョ狂と奥さんと一緒に近くのピッツェリアへと向かう。
 カルチョ狂のかなりのお気に入りのピザは「78」。生ハムがのっている。奥さんのはキノコ盛りだくさん。このピッツェリア、かまどもちゃんとある本格的なピザ専門店でなんと86種類ものピザがあり、注文するにも番号で伝えるのだ。これだけ種類があれば番号など言わずに自分好みのトッピングピザも作ってくれそうだが・・僕が注文したのは「118」。ジェノベーゼペーストにパンナ、小エビ、プチトマト。うまいだけではない。写真を良く見て欲しいのはピザが浮いていること。イタリアのピザは大皿一杯にのっかってくるのは当然だが、ここのはオーバーなくらいにはみ出している。ピザを切るのも一苦労する。そして生地がかなり薄くペラペラ。食べてみればかなりの量があり、これだけで充分腹一杯。客席は100席あり、子供も大人もどんどん入ってくる。流行りのピッツェリア。うちの近くなだけに来客のときは安心して案内できる。
 ミラノには泊まるのに、食べながらでも口の止まらないカルチョ狂。ここのところガゼッタなどでも報じられているようにユベントスの審判操作に揺れているセリエA。以前からパルマの脱税やチェッキ・ゴーリの破産など裏の問題が山積みの世界最高峰リーグ。ユベントスと言えばモッジGM。シエナの選手が云々、パレルモ戦では云々。いろいろと語っていた。ときたま僕に合わせて野球ネタで例え話をしてくるのは、やはり普段から子供相手にわかりやすくものを伝えようとしているからだろうか? 指導者として必要な素養ではあろう。
 彼と会うといつも不思議な風が僕の前を通り過ぎていく。大胆さと几帳面さ。自分の考えを熱く語る一方、ふと冷静にもどる。二面性があるのかないのか。典型的な体育会系のこの男。そして貧弱なオタッキー・映画好きの僕。吹けば飛んでしまいそうな僕を相手にしているのは、きっと人を見るのが好きなんだろう。映画でもそうだが、カルチョの世界でも監督をする者、人間探求は死んでも終わりのないものだ。この男は相手を分析するだけではなく、人を大切にする温かさがある人である。それこそが狂人に共通する要素のはず。


Pizza OK


2006年4月13日 (木)

ありがちな風景 1

 ランブラーテ駅の切符売り場に着くと、窓口には長蛇の列。出発まで15分くらいしかないのに並んでいるわけにもいかない。2台しかない自販機で買うことにした。なぜか幸いな事に自販機に並ぶ人はわずか。順番はすぐに回ってくるものの,前の順番の女の子がお金を入れる表示までさせておいて購入しなかった。何か問題か? と思いつつも自分の番になり紙幣を入れようとすると「支払いはコインのみ」という表示。この国の自販機だとよくある。自分のフトコロを見るとあと 60セント足りなかった。隣りの自販機に並び直していた女の子の後ろに自分も並び直す。
 すると今度はその女の子の10ユーロ札が汚くて機械が受け付けない。「あなたの10ユーロ札と交換して」と言う。僕は2枚持っていたが,女の子に渡したのが受け付けられて自分の番で受け付けられなかったとしたら最悪だと思い、比較的汚れていた方を交換してあげた。でもその札も受け付けられなかった。
 少し頭によぎり始めたのが「こんなくだらない事でクレモナに行けなかったらアホだ」ということ。自販機がだめなら窓口に行かなくてはならない。でもそんなことしていたら出発に間に合うわけがない。ということは何が何でもこのお札を入れないといけなかった。にもかかわらず、手持ちの10も20も50も札はすべて入らない。「買えない・・」最後唯一の手段がひらめいた瞬間には次の動きに入っていた。
 目指すはバール。その手前に古本を売っているところがあり、そこのお兄ちゃんに聞いた。5ユーロだけかと思われたが、10ユーロを出していた僕に気がつくと,もう一度レジの中を見て「そんなにないから隣りのバールに行ってみて」両替なんてダメもとでお願いしたが、ここまでやってくれた彼はいいヤツだった。バールに行き両替してもらおうとしたが,目の前に広がる1ユーロもしないお菓子の行進。両替というよりは何かしら買った方が自分の気分的にもすっきりすると思って手にした M&M'S。


 ホームに行く途中の駅の角すべてにマイクロソフトの広告があった。オスとメスのワニに見た事あるようなものが書き足されている。しかもすべての広告に・・。イタリア人のアホさ加減にちょっとした笑いがこみ上げてきて、気持ちを和らいでくれた。



2006年4月 8日 (土)

走り出せば止まる事を知らない人々

 知人に誘われてイタリア人と日本人のいる飲みの場に行った。まさかここでこんな不思議な光景を目の当たりにするとは思わなかった。
 イタリア人はキウーゾ (閉鎖的) とか内輪で固まるとか、会ったり飲んだりするのはいつも変わらない同じメンバーだといろいろな人から聞いていた。実際そういう人と僕は会った事もなく,出会ってきたイタリア人はとてもシンパティコ (親しみやすい) で、僕自身はいろんな人とつきあいをしている。
 ミラノで会う友人もとても親切でよくケアしてくれる。行く先行く先で突然出会ってきた職人たちも、そんな僕に対しても親切な応対で接してくれた。ジェノバのロレンツォが言っていたのは「ジェノバの人間はとてもキウーゾで君みたい日本人が来ても打ちとけられないだろう。僕ですらそうだから」という。僕は「ふ〜ん」という程度で実感が湧くはずもない。「じゃ、君はパルティコラーレ (ちょっと変わり者) なんだね?」と聞くと「Si」と返された。
 僕が来たのはミラノ市内の南の方のバール。早い時間はハッピーアワーでドリンクは安く、ちょっとしたつまみはタダで食べられる。だから一杯しか飲まずに何時間もしゃべり続けるイタリア人にとっては、3〜4ユーロもあれば夜は過ごせるのだ。
 イタリア人は 3人いた。仕切り屋のようによくしゃべる男が一人,それに相づちを打つように相手をする男。その脇にイタリア人相手の日本語教師の女性。もちろん僕は彼らとは初顔合わせ。僕は彼らを知らないし,彼らも僕を知らない。でも話す内容と言えば,よくわからない。イタリア語を理解しきれないというのもあるが,正に内輪の話に終始している。日本人がいるのに日本語を話そうともしないのも理解できない。日本が好きなのではないのか? 日本語を話そうとすればたどたどしい。
 何故日本人と空間を共有しているのか?
 僕には理解できなかった。彼らはただ自分がよく知っている友人と一緒に、自分のよく知っている事を話したかったのだろうか? 僕は新しい感覚を取り込みたいがためにここに来ているのに,共通項を見いだす事もないまま,お互いが近寄る事もないまま平行線をたどる事が怖かった。もったいない。
 一人が僕に何をやっているのか話しかけてきたものの、そこから広がる話もたかが知れている。彼らはミランが勝っただとか、デルピエロがどうのこうの、ではなく「彼は」「彼女は」という自分たちの作り上げた空間の中にいる存在を面白おかしくしゃべり続けている。その彼や彼女が一体どういう何者なのか知るよしもない。そこに僕の入るスキなどない。それとも入ってこられるのが怖いのだろうか? 自分を変えたくないのだろうか?
 彼らが言うには話の腰を折っても話に入ってくれば相手にするという。確かに海外ではそういうものである。自己主張なしに、誰かが自分をわかってくれるだろうなどと、受け身の期待をしていても道は開けない。一つ言えるのは、この場がどういう場であるかという事。彼らも仕事が終わり,頭悩まされる過酷な労働から解放されてまで,日本語で頭を悩ましたくない気持ちもわかるし,真面目な話よりアホな上っ面の話で気楽でいたいのもわかる。人の余暇をどうして僕が奪えるだろうか? 彼らには楽しんでもらいたいと願うばかりである。ただ端から見た僕が感じたのは、何の魅力も感じられない彼らと自分のエネルギーを費やしてまで彼らと関わる事で、どれだけのものを手にすることができるのだろうか? そう思えば一晩だけの出来事。僕は彼らの人間観察に時を費やした。
 人はいろいろいる。イタリア人の中でもいろいろといる。イタリア人でも痛みというのを理解している人はもっと動きが違っていた。そういった僕が出会って来た人とは異なる、いわゆる一般的なよくあるイタリア人像の彼ら、そんな人間模様を垣間見られた事はそれはそれで有意義だった。
 日本にいたころの職場で、まわりが中国人ばかりのことがあった。当然中国語で会話がやり取りされることがあり、やはりその輪に加わることはできない。ある日、一人の中国人女性がみんなの前では日本語で話しましょうと切り出した。言葉で壁を作っているわけだったから彼女はナイスと思った。そう考えると日本語のわからないイタリア人の前で日本人同士日本語で話すのはよくないこと。だが日本人は得てしてやってしまうものである。自分たちにとってはわかるものだからいいが,外国人にはわからないし,何を言っているか、何を言われているか気になるものである。気まずくもさせてしまう可能性もあるという事。
 ホントに笑えたのは、彼らは話す人間同士でしか顔を向けあわない。顔を向ける方向で外部に対して完璧に壁を作り上げていた。それからもっと笑えるのは、みんなと僕との会話は僕を誘った知人を介して行われていたこと。みんなは知人に僕のことを質問して、知人が僕のことを答える。本人と直接やり取りすればいいのに間接的にやるのは日本人ぽさすら感じられた。
 イタリアの集合住宅のつくりを見ると、必ず中庭に入ってから自分の部屋の入り口に行く構造になっている。周囲は囲まれていて,外部とは仕切られている。また各都市との構造を見ても昔の城壁の名残が必ずと言っていいほどある。城壁によって敵や他国からの侵略を守るためである。こんな事を見るだけで,この国の人は深層の部分では外部から自分の領地を荒らされる事を無意識のうちに嫌い、守る事に終始しているように感じる。
 仕切り屋の男が自己満足的にみんなの前でしゃべりまくっているのを見て「あいつしゃべりすぎだから、あいつをストップさせたらいい」と隣りにいる知人に言うと「彼がしゃべって雰囲気を作るのがいい」といっていた。それは僕にとってはどうでもいいことだが、少なくとも日本においてそれでは参加している個々の個性なしで時間が過ぎ去っていく。個々がしゃべる時が必要だと僕は考えていた。彼の個性だけが露出していたところでそんなのどうでもいい事である。日本人ならもう少しお互いの接点を見いだす努力をするはずである。そのとき人が何を感じているか察することのできるこの繊細な感覚は、言わないとわからない海外の人間と違う日本人の美しい感覚だろう。行間を読めるというか機微を感じられるという事だ。
 しゃべりすぎの男が隣りの日本人と二人でしかわからない話を始めると、途端に場は静まり、彼ら二人と関われなくなったイタリア人もあきれていた。正にそれがこの時の僕の立場であったが,それが彼らにわかっただろうか? そんなことをわかって欲しいという事ではなく,そういう関わりを作らない事をこの国ではそういうもの (当然のこと) と考えているというからおかしい。ただ次第にその場は他の人間同士で話し出す空間を作っていた。
 僕は疲れて途中で席を立ったが,金曜の夜だけに彼らがいつまであの空間を楽しんでいたかと思うと,ゾッとしてくる。ひきめでこういう不思議な人間模様を冷静に分析するのも面白かった。


 テレビでロベルト・ベニーニが大学のようなところで芝居のようなしゃべりで講演のようなのをしていた。一体なんなのかはよくわからないが、ベニーニを見るのは珍しかったので撮ってみた。



2006年4月 3日 (月)

19:00 憩いの場

 イタリアの中ではミラノもまだ都会の方だが,そんな街の中で落ち着ける風景と出会ってきた。日曜日でバスもトラムも本数が少なく,澄み渡った空とともに何か見つけられるだろうと、歩いて家路についた。
 通りの名前は Via Morgagni。老人たちでいつもにぎわっている通りの横を普段はバスで横切っていた。何をしているのか興味があった。ジェノバのボッカダッセの老人たちがよくやっている球投げに似ている。日本でいえばゲートボールのようなものだろうか?
 そのとなりでは石の椅子とテーブルがあり,カードゲームをしている老人たちが集う。これはリオに行ったときに見たような光景だった。まわりには野次馬が絶えず,僕がカメラを向けると怒るわけでもなくオバチャンが「フォトーグラフォー」とチャチャを入れてくる。
 更に進むと公園があり、父親と子供が戯れる姿があった。無邪気な子供が大きめのボールを無意識に投げると下を向いていた父親の顔面に当たり、一瞬怒りそうな顔で見上げるが、笑っている息子を見るなり怒るに怒れない親の表情に安堵を覚えた。
 最後に閑散とした空き地には犬が走り回っていた。メスの上にオスが乗ったりして「ヒーヒーハーハー」言いながら走りまくっていた。通りがかりのジジイババアも僕の顔を見ながら笑って過ぎ去っていった。
 現在時刻 19:00。陽はまだ沈まない。



2006年3月30日 (木)

花の表情

 家の近くの停留所でバスを降りると懐かしい空気を感じる。わずかながらの色に僕が反応したのはピンク。ソメイヨシノの発祥地で育った僕は、小さいながらも車が走り抜ける通りの横で生き抜くサクラに心を奪われる。子供の頃に味わったのは、ソメイヨシノの花のアーチをくぐり抜け学校へ通った日々であり、まるで花が僕を迎え入れてくれているようだった。陽の光とともに伝わる温かさに感謝して、サクラの美にひたる。
 イタリアでは花見の習慣はない。イタリア人の住むベランダにはかなりの割合で植木が置いてある。心の余裕というべきか、とても愛らしさを感じさせてもらえる。イタリアを歌舞伎と例えるのであれば,日本は能。僕が思うに能は静かな中に生きる温度を感じさせる芸術のようで,日本独特のものであり、自分の作風に近い気がする。
 ゴロゴロ鳴り響いていた雷もウソのように,暖かい春の陽気が射してくる。駅前ではスケボーをしたり、サッカーボールとじゃれあう少年たち。バスに乗り込むと「ヴァレリアー! ヴァレリアー! 」と呼ぶ男の子が二人。当のヴァレリアはお母さんと一緒に席で落ち着いていた。呼び声に気付いたヴァレリアはスッとドア付近まで近寄り、手を差し出して合図を送る。何気ない風景に心も温まる。一度サヨナラをして距離を置いても、それでもまだコンタクトを取ろうとする。
 こんなやり取りを見る度にいつも日本人の距離感の長さを想う。子供であるからこのような風景は日本にいても皆無ではないにしても、懐かしめるのは何故だろうか? 例えばドゥオーモに行く車内アナウンスのない地下鉄の中で日本人と出くわしたとして、僕が予想するのは真横にいながら「次ドゥオーモだよね? そうだよね?」とわざと僕に尋ねるかのように、隣りにいる友達か恋人に確認する。この辺、中国人はたくましいというか区別がつかないのか、日本人にはよく声をかけてくる。
 日本人はサクラを美とする。それはなんとなく絵画的な気もする。生き方も伝統的に静けさを他人に読んでもらうものののようだ。日本人の心の根に息づいているものなのだろう。
 クリスマスから大事に温室育ちにさせていたポインセチアもこの暖かさに機嫌を良くしたのか、いつになく元気そうだった。彼が生き続けていてくれるというだけで彼は僕を楽しくさせてくれる。



2006年3月26日 (日)

LA NOTTE BIANCA

 春の足音が聞こえてきて、夜になっても体が温かくなってきた。ずんぐりむっくりのジャンパーを着込んでいるのはアフロ系くらい。ヨーロッパを始めとした世界各地ではこの日深夜を境に時差が生じる。北半球ではいわゆるサマータイムになる。ミラノでは LA NOTTE BIANCA (白夜) と称し,夜通しお店も開いているようである。早いこと日本でもこの制度が施行されることを望む。
 ブエノス・アイレス通りを歩くと,そこは夜通し歩行者天国になっていて遊園地と化していた。メリーゴーランドから観覧車、UFO キャッチャー、重量ゲーム、エアードームのような滑り台、遊戯施設、まぁとにかくいろいろとあった。バールも本屋もベネトンも靴屋もかなりの店が開いていた。東京で言ってみれば原宿から渋谷までの明治通りに遊園地が広がってしまったような感じか? 公衆電話の受話器の向こう側の聞こえない声と話をする子供、砂ぼこりのようなものを手に路上で小物を売るオヤジ,サンシーロから瓶ビール片手になだれ込んできたミラニスタ,様々な人間模様が見えた。
 さすがにここのところ朝は陽の光が差し込んでくるのが早く,寝起きの悪い僕もサマータイムにあわせたかのように勝手に体が反応してしまう。翌朝にもなれば同じ時間でも少し暗い朝を迎えることになるが,しばらくすればまた同じように明るい朝になる。北欧にもなればそれこそ白夜になると言われるが,僕はまだ体験したことはない。でもイタリアでも時間を勘違いするほど日が長くなるのを知っていると,その感覚もわからないわけではない。いやしかし純粋にどうしてこんな現象が起こるのだろう。と考えてみた。こんな事を思うたびに子供の頃もっと勉強しておけばよかったと思う。これは地学だなぁ。
 こういうことは大人がよく感じる事であろう。子供の頃にそういったことを聞いて、頭ではわかるが別に本気にはならないものである。それは当然だろう。知識なんて僕に言わせれば意味のないもの。実際に見て聞いて体で感じて実感したものが、自分のものになるのである。何故時差が起きて何故日中の時間が長くなるのか? ちょっと理屈をイメージすればわかるんだろうが,そう思ったときに知ればいいのである。子供の頃にいやいや知識を詰め込まれても、実感など湧かないし身に付かない。海外に出ていろんなものを見て回ってきたが,その度に知りたい事ばかり出てきた。学生のときにすら学ばなかった事まで。
 土地の空気を感じ,そこの人と同じもの食べ,そして共に歩く。何が彼らの悲しみなのか? 何が喜びなのか? 何が必要なのか? ウォール街のスーツを身にまとったり,マサイ族とジャンプをしたり,ハバナで葉巻を買わされてみたり、ボスニアの街角でサッカーボールを顔に受けたり,その人間と同じ境遇に触れて同じ目線に立って感じないとわからない。笑いながら相手の弱点を突っ込めるような状況が理想である。ウソの理解など彼らは欲していない事にも気がつく。




 世界一周した時は一日に一時間ずつ長くなって 25時間生活していたときが24回あったものの、ある日突然消える日が生じるのだ。実質生きている時間に変わりはないが、概念として一日が消えてもったいないような気もした。
 時差に慣れていないと、翌朝まで気が気でない感覚が続く。翌朝は必ず日曜ではあるものの,待ち合わせの時間などを間違えるととんでもないことになる。ちなみにこのココログで時差の生じる存在しない時間帯に投稿の予約をすると「問題が発生しました。」と出て投稿できない状態になった。以下

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2006年3月10日 (金)

カルチョ狂

 我が家にカルチョ狂がやってきた。ペルージャに住むサッカーチームの監督を目指す日本人である。彼はサッカーの本場イタリアで公認ライセンスを取得し、世界的な指導者を目指している。なんとも素晴らしい夢なんだろうか!! 日本でも幾多の夢かなえたい人に出会ってきたけれども、海外に出れば本気のレベルもケタ違いである。サッカーなんて詳しい事は僕にはわからない。けれどもサッカーを熱く語る彼の眼差しにはやはり引き込まれるものがある。

 彼はおかしい。何かが違う。狂っている。

 イタリア人の中に飛び込んでいって、日本の指導者たちとの違い、文化の違いを肌で感じている。そしてそれを一歩引いた目で分析し、自分の中に取り入れる。僕の場合、監督とはいっても人を率いるというよりも、むしろアーティスティックな部類。彼のように指導者であるという事はイコール、よりよい方向へと導く、人の人生を左右しかねない人物だ。ある意味、未来の地球を背負っているようなもの。僕自身、彼にかける期待は大きい。世の中をもっとよくする可能性を秘めているからだ。
 イタリアと日本の違いを目の当たりにしているという事は、お互いの良さも知っている。もちろん日本人が世界と対等になれることも知っている。プロのフォーメーションを見ても自分ならこうすると僕に語りかける。理屈を聞けばなるほどとわかる。であるならば実際に彼の監督するチームのプレイを是非見てみたい。
 非常に勤勉なところがいかにも日本人ぽいが、サッカーを指導し,観戦し、そして自らプレイする。サッカー漬けの日々は僕にはうらやましい。すべてがサッカーに染まっている。サッカーを通して人生を見ているんだろう。ホントただのキチガイだ。
 そんな彼がポツリと言っていた。非常に人間的で根源的な願いだと思う。
「器を大きくしたい」


『カルチョ革命』


 ところで今回お送りする映像はかなりのレアもの。数年前ミラノに鈴木清順監督が来られたときに案内したパルマ・ランギラーノの生ハム工場でのワンシーン。絶え間なく「ハァハァ」呼吸して、いまにもコロッといってしまうんではないかと思った。プロデューサー「監督をここまで歩かせたのは君だけだよ」僕「次回来られたときは安心して下さい。もっと歩いてもらいますから」こんなイタリアンなジョークをかましてその場をなごませたのでした。いま監督が酸素ボンベをしているのは僕のせいだったかもしれません?? 「ピストル・オペラ」公開後「オペレッタ狸御殿」製作前でした。そういえばこのおっさん「一期は夢よ、ただ狂え」って言ってた。
 写真はその工場で作られた職人さんからもらった生ハムのかたまりです。本場の生ハムは昇天してしまいそうなくらいうまくて、最近になってせっかくもらってきたものもホンのわずかしか残っていません。これもあと少ししたら消えてしまう・・


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