2006年2月15日 (水)

温かい感覚の構築 - Bergamo 2

 僕の最近の傾向。午前中はそうでもないが午後にもなると時計を見なくなる。腹時計ではないが、自分の感覚で大体何時だろうというのを感じる。いまのこの時代であれば時間を感じるにはいろんな要素でわかる。おなかのスキ具合はもちろん、外の明るさ、人通り、自分がしていることの進み具合等々。
 日本にいた頃に見た映画で、全編ブルー基調の映画があった。サスペンス仕立てだったものの、なんだか落ち着く仕上げだった。この日のベルガモもけっしていい天候とはいえなかったが、何度写真を撮っても色身が青になっていた。人の話す言葉も音楽のようで、理解するよりすっと心の中に響いてくるような感覚。
 人々の言葉は優しい言葉。坂ではあるものの、こう配がきつくはない。天候はよくないものの、雨にはならない憂鬱感が心を駆り立てている。いろんな要素が心地よく響いてくるからこそ、ここにいることの意味がポジティブにとらえられるのだろう。

 映画も似たようなところがある。人に心地よさを感じてもらいたいのであれば、細かい心地よさの感覚をストーリーの中に並べていけばいいのである。例えばその一つがこの「ベルガモという街」であれば、と思ったこともある。



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高貴な街 - Bergamo 1

 しばらくぶりにミラノから30分くらいの街ベルガモに来た。ベルガモには「チッタアルタ (丘の上の街)」と呼ばれる街の中心より高い位置にある城壁の街がある。いってみればドラゴンクエストのような感じか? ケーブルカーで街の上方へ向かう。ここは小さいながらも独特の雰囲気を醸し出していて、静かな中に息づく人々のリズムが美しく感じられる。シエナやヴォルテッラのように坂とレンガが特徴的だ。
 日本に比べればミラノなんて田舎町に思えるが、ミラノの喧噪を考えるとこのチッタアルタは芸術を生み出しやすそうな空間で心癒される。そんな気にさせられる。
 クレモナのリュータイオの話を聞くとよく思わされる。クレモナには弦楽器製作の情報はあふれんばかりにあるけれども、それ以外、必要以上の情報はあまりない。不要な情報がない分、自分のことにひたすら集中できる環境。自分自身と相対していられるということは、自分を追求できるということ。情報は人を混乱させ、ときには本意ではない方向へと追いやる。
 イタリアにいて、ここベルガモのような僕にとって高貴さを感じることのできる場所が多いのは、人々の感じているものが日本とは異なるからであろう。情報ではなく体当たりで人と人とが交差しぶつかりあう。それこそがお互いが理解しあえる要因。人間の原風景とでもいうべき姿のような気がする。いい意味でも悪い意味でもこの国の人たちは関わりあおうとする。



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