同じ人間の幸せの基準 - Zagreb 8
帰りの列車の中、イタリアのインターシティにありがちなコンパートメントタイプの6人がけのボックス席だった。クロアチアかスロベニアかわからないが、品のある年配の女性とルーマニアの女性が座っていた。あとから僕の正面にイタリア人男性が座った。ザグレブからリュブリャナなので国境でコントロールが入る。日本人はまだ信頼度が高く、まともな扱いをされる方だが、まれにムカつく職員もいる。僕はいつも不安になるが問題になった事はない。
ユーロ圏の人はフリーパスのようなものでもあるかのように、書類を見せてあっさりとOK。僕もパスポートと顔をしげしげと見られたもののパス。かわいそうなのはルーマニア人。何を言っていたかはまったくわからないが、激しいやり取りがしばらく続いた。パスポートはコンパクトタイプの顕微鏡のようなものでじっくり見られている。日にかざしてみたり、相当な用心ぶりだった。
確かにルーマニアからはイタリアにも不法入国して出稼ぎに来ているのもいる。民主化したとしても共産政権時より経済はインフレが続き、失業率は高い。そこへきて不当に出国しようものなら取り押さえられてしかるべきである。ただ一般の人々がそこまでして不自由を強いられる事に憤りを覚えるものだ。日本にいればこんな現実に出会う事などない。自由があたりまえ。何をしてもいい。何をしても誰も何も言わない。誰も関与しない。それとはまったく反対の社会。生きる事に必死になる人々。彼らもまた僕ら日本人と同じ人間である。でも扱かわれ方が異なる。
生きやすい事はいい事なのだろうか? 幸せな事なのだろうか?

















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