2009年10月15日 (木)

佐藤レオさん

 同志が逝った。

 パレスチナの非暴力抵抗運動を描いた映画監督の佐藤レオさんが亡くなったとの知らせがあった。

 イスラエルやユダヤ人の動きに関しては、僕も思想的に気になるところであったわけで、彼の映画にも興味を示していた。もともと映像ジャーナリズムを志していただけに、彼の活動はうらやましくもあり気になって影ながら応援していた。

 佐藤さんとの交流はこのブログで僕が一方的に『ビリン』を紹介したところから始まった。興味のある映画を見れないが故に、わざわざ早急に映画のDVDを送ってくださった。

 アウシュビッツに行った僕がこのブログに書いたことに対して、優しく諭してくれたコメントもあった。
 ユダヤ人 - Birkenau 4

 だからその動向はいつも気になっていた。

 マイミクにもなっていて、僕のページに彼の足跡のついていた数日後に亡くなったとの知らせ。てっきり元気だとばかり思っていたのに。。。何があったか知らないが、青天の霹靂である。

 同世代の監督として何かできることがあったのではと、思っていた。協力して何かしたいと思っていただけに悔やまれる。是非日本でお会いして、その優しさをビリン村の人々に返していけたらいいと考えていた。僕もわずかながら彼の意志に添えるようにできればと考えている。

 佐藤さんの冥福を祈ります。

ビリン・闘いの村-パレスチナの非暴力抵抗-

佐藤レオさんを悼む
佐藤レオさん訃報
佐藤レオさんの訃報

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2009年1月 1日 (木)

あけましておめでとうございます

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2007年4月19日 (木)

浮かび上がってきたもの - Parma 6

 昼も終わり、午後の作業を見ようともう一度オッサンの工房へと行く。オッサンは工房にはいなくて、向かいのショールームにいた。オッサンに気がつかなかった僕は、オッサンに声をかけられて気がついた。ショールームといっても古くさい家具、いわゆるアンティークを扱う店だった。
 てっきり午後も作業の続きだと思っていたが、とりあえずこの古ぼけたショールームを案内してくれた。オッサンは久々に話を聞いてくれるカモを見つけ弾丸のように話してくる。まぁ、イスに座れと2時間以上話しただろうか? スゴい勢いで話していたが、僕にはほとんど何を言っているかがわかった。オッサンは人生は楽しくて素晴らしいということを言いたかったんだな。それをほとんど言わずに回りくどくいろんな話をするのはイタリア人らしさなんだろう。
 得意になって話していたオッサン。僕が一番いいと思ったのはネガティブさがなかったこと。最初オッサンに見たイメージとは違う人物像が見えた。古くさいアンティークなものに一途に気持ちを投入するオッサンを見て、改めて古いものを大切にする文化は美しく思えてくる。

 イタリアへの逆襲。それはやろうと思えばできるもんだということ。自分の捉え方次第。
 負けるなジャポネーゼ!


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2007年3月25日 (日)

ブルーモスク - Istanbul 3.2.2

 イスタンブールといえばブルーモスク、と言われるくらいのイスラム教の巨大寺院。モスクには今回の旅で初めて入ることができ、そして何度か訪れていた。中心地にある大きなモスクだけに、中に入れる時間が制限されている。信徒たちが祈りを捧げるスペースは足を踏み入れられず、それでも祈りに来ていた信徒もいた。
 祈りとは「神との対話」などと一般的には言われているが、僕にとっては自己確認のような、自分自身を律したり自己洗脳のような感じに捉えている。だから彼ら信徒が神への祈りを捧げる心境というのは、それがイスラムであろうとキリストであろうと、僕には理解するのがとても難しいもの。いやそれは理解するのではなく感じるものだ。とも言われるだろう。
 いずれにしても僕が感心するのは、そこまで自分の心を捧げられるということ。滅私である。そして神の教えに忠実に生きているであろうことが、この旅を通してつくづく実感させられながらここまで来た。それは日本人にも先祖代々から伝統的に伝えられている、顕在意識にはのぼってこない心の奥底に潜んでいるサムライ魂にも共通するものがある。だからトルコ人は親日感情も芽生えるのかもしれない。トルコ人は総じて温かい


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2007年2月19日 (月)

ムアンマ - Konya 10

 ここコンヤで出会った人々はとても印象的だった。インフォメーションで出会って街を紹介してくれた彼がとても親切でいろいろと相談に乗ってくれたのはもちろん、博物館で出会った女の子たちも強烈に脳裏に焼き付いている。またメヴラーナの美しさは当然のこと、その帰り際にも博物館付近で女の子に声をかけられた。
 トルコ人は親日感情が強いとは聞いていたが、ホントにそのようだった。いやもしかすると彼女たちは、机上での理論だけで学んでいる英語を、活きた形で試す数少ないチャンスを求めていたのかもしれない。僕がインタビューするときも常にいろいろなことを想定しながら知らない人に声をかける。何の気なしにやっているつもりもなく、やはりそれなりに勇気を出して声をかけるもの。そんな自分のことを考えると、彼女たちも僕に声をかけるのは、ましてや普段から慣れているわけでもないことをやっているのだから、不安はつきまとっているはずである。
Do you speak English?
 そう言った彼女の笑顔も脳裏に焼き付いている。とにかく時間がなかった僕はすぐにその場を去らなくてはならなかった。でも僕はこの国の人々の優しさの多くに触れてくる中で、日本人に対して好奇な目で見てくる人々のホントの感情を知ってみたかった。少しでも聞いてみることは悪くないのに、話すことができなかった。僕は日本人としてその場で彼女らを傷つけることはしたくなかった。僕の行為イコール日本人そのものの態度と受け止められるのだから、せめて「また今度話そう」とでも言っておけばよかったかもしれない。彼女らの好奇心は決して悪くはない。
 そんな出来事に後ろ髪を引かれながら、いろいろと世話になった彼に最後まで世話になって、挨拶をしてコンヤをあとにした。


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2007年2月14日 (水)

メヴラーナ博物館 4 - Konya 5

 更に先を行くと今度はメヴラーナのいろいろな展示物がある館に着いた。大きなものから小さな人形。筆で書いたような絵や写真。信者たちは巡礼や魂を求める旅などというよりも、ただの観光客かのようにおしくらまんじゅう的に順番に押し出されながら先を急いでいるだけだった。ここでは心を休めることなど無理だろう。これはトルコ国内でも一大行事のようだったから。

メヴラーナ - 僕はただその美しく幻想的なダンスの写真を見て一目惚れしてここまで来ただけだった。教義云々などというよりも、その芸術性の高さに魅了されたというのが本音だ。しかしここまで来ればやはりその教えというものもどんなものなのか知りたくなるものでもある。僕はメヴラーナのポストカードを買おうとしていた。いろいろ物色している中で見つけた一つのカードを紹介します。

メヴラーナ 7つの教え
1.恵みと助けは流れのように与えよ。
2.情けと哀れみは太陽にように与えよ。
3.他人の欠点は夜のように隠せ。
4.怒りといらだちは死のようにあれ。
5.謙虚と謙虚さは土のようにあれ。
6.寛容は海のようにあれ。
7.あるがままに見せるか、見かけのごとく振舞え。

 こんなことが書いてあった。決して間違ったことではないので素晴らしい。そして一つ気に入ったのはやはり芸術性を帯びている点。キリストの例え話のようで、例えにしているのが自然であること。子供にも伝わりやすくなっているのが素敵だと思えた。人の信仰は真実や誠実さへと傾くものであろう。メヴラーナは真実と芸術と宇宙の広大さを兼ね備えているものなんだろう。



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2007年1月24日 (水)

痛みの時代を耐え抜いてきたであろう人々 - Bucureşti 6

 移動の地下鉄に乗る。路線もさほど多いわけでもなく、行き先も限られている。それでも初めて乗るわけであって言葉もよくわからないとあれば、迷うこともある。地図と路線図を片手に行き先を確認しながら階段でウロウロしていると、おばちゃん二人組が声をかけてくる。

「どこへ行きたいの?」

 きっとそう言ってくれたのだろう。地図で示すと彼女らと同じ電車のようだった。自分から求めていけば教えてくれるようなものの、田舎町ならまだしもミラノにいてもこういう親切はあまりない。移動の間、電車に乗っていてもしきりにこちらの様子をうかがって心配してくれている。そしてここで降りなさいと指示され、同じ駅で降りる。笑顔で階段を上り「ムルツメスク (ありがとう)
 電車を乗り換えると、作業服を来た土方のような兄ちゃんがいた。外人が珍しいのか、やたら僕の表情を眺めている。突然乗客が皆降りようとする駅に着いた。のほほんと座っていると兄さんが「ここで終わりだ、降りろ」と伝えてくれる。彼も笑顔で去っていく。
 いきなり途中でおろされ、同じ行き先の電車などどうやって見つけたらいいのかすらわからず、途方に暮れてまたウロウロしていた。すると今度は同じ車両にいて僕のそんな行動を見ていた女の子が「向かいに止まっている電車が同じ行き先よ」

 何度となく助けられた。こんなの大したことないし、イタリアでもよくあることだろう。ただ僕がいろんなところをまわってきた中で思ったのは、それぞれの土地にあるバックグラウンドによって人の動きが異なるのではないかという事。そんな見方をしてみた。
 以前、常夏の国から極寒の街に移動したとき、温度の高い南方の人間は心も広く温かい。などという事を考えた。一概に言えるものではないがそんな傾向が見えたという事。ミラノとナポリ、北海道と沖縄でもそんなのが見えるかもしれない。

 ここルーマニアは数年前に独裁政権が民衆によって打ち倒された。それまで東の国の人々はそんな自由の少ない束縛された寒い時代を送っていた。しかもその時代を生き抜いて来た人が、いまの社会を支えている。僕がこの日出会った人たちもそんな悲しみをちゃんと知っている人々だったはず。クロアチアでもそんなようなものを感じたし、カンボジアでも人々の安らいだ笑顔は平和を取り戻せた喜びのような菩薩みたいに見えた。


 人々は悲しみにあふれた社会にいても、和を求める。そんな痛みを知っている人々は、人に優しくしようとする心を持っている

 それはこの移動の間での出来事もしかり、駅でホテルの場所を聞いていろんな人が通りの場所を教えてくれようとした事もしかり。
 こんな少しの間にこれだけの優しさに触れられたという事で、東の国で探し当てられた美しい心を感じ取れることができたのは僕にとって大きな収穫だ
 そんな意味では日本もすでに危ういし、僕ら戦争を知らない世代などに理想的な国家形成など難しい。



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2007年1月18日 (木)

美しい街並を背に - Sofia 13

 短いながらもピンポイントでいろいろと経験させてもらったソフィアでの日々。表立って特徴が見えた人々ではなかったが、ちょっとした触れ合いの中で味わった優しさは、こんな旅の中では本当の意味では理解できないものなんだろう。いろんな国をまわってみても、各々の国をわかるまでは、土地の人と交わす生活に入り込まなければならない。いやそこまでしたとしてもわかるものでもない。実際に僕はイタリア人の事もわからなければ、日本人の事ですらいまだによくわかっていやしない。人間とはそういう難しい生き物だ。
 それでも僕は人に希望を抱いている。人にははかりしれない、表面だけではわからない何かが潜んでいるものだと。何とも思っていなかったのに思いがけずイイものと出会う事もある。人と関わりを持つ事でイイことがある。それがよくない事より1%でも越えたら良かったと思える。そんな自分で在れたらいい。
 何とも思ってなかったドミトリーの宿で、主人の優しいおもてなしに触れたり、下人のような人に彼らのコミュニティに招き入れられ、人の温かさと出会えたり。
 世の中何があるかわからない。イヤなこともあるけれど、イイことがあると願っていれば踏み出す事もためらわずにいられるような気もする。



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2006年8月20日 (日)

映画にあるような出会い - Ljubljana 13

 夕べの寒さがウソのように、太陽がさらに暑くさせている。上着を脱いで半袖になろうとベンチに腰掛ける。ちょうどいいので休息もとる。一人、川を眺めながら物想いにふけろうとしていた。短いはずの旅が妙に長く感じるのは、夕べの出来事が大きく、言ってみればいまの自分の人生そのものを体現していたのではないだろうか?
 なんて事を考えるや否や、後ろから何事か僕に語りかける声が聞こえてくる。日本でいうならば、なかばナンパされたようなもの。
 名前はモラン。イスラエルからスロベニアに学生として住んでいる女の子だ。いまは学生だが、いつしかこの街で働きたいという。僕がイタリアにいる事を告げると、どうしたら働けるのか? 興味深げだった。彼女はここリュブリャナが好きでリュブリャナで働いて生きていきたいようだった。
 僕が日本人であることを言っても、日本が経済大国であることをよく知らないようだった。僕は僕でイスラエル人と知り合える機会など、まずないことだから面白い出会いだと思った。昨日のカタリーナにしても今日のモランにしてもベンチがきっかけでの出会いだ。
「映画にあるような出会いなど滅多に」あるもんである。その後は活かすも殺すも自分次第。誰かが書いたこんな詩がある。「見知らぬ街で見知らぬ君と出会っても、僕は君を知っている


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2006年8月11日 (金)

同じ人間の幸せの基準 - Zagreb 8

 帰りの列車の中、イタリアのインターシティにありがちなコンパートメントタイプの6人がけのボックス席だった。クロアチアかスロベニアかわからないが、品のある年配の女性とルーマニアの女性が座っていた。あとから僕の正面にイタリア人男性が座った。ザグレブからリュブリャナなので国境でコントロールが入る。日本人はまだ信頼度が高く、まともな扱いをされる方だが、まれにムカつく職員もいる。僕はいつも不安になるが問題になった事はない。
 ユーロ圏の人はフリーパスのようなものでもあるかのように、書類を見せてあっさりとOK。僕もパスポートと顔をしげしげと見られたもののパス。かわいそうなのはルーマニア人。何を言っていたかはまったくわからないが、激しいやり取りがしばらく続いた。パスポートはコンパクトタイプの顕微鏡のようなものでじっくり見られている。日にかざしてみたり、相当な用心ぶりだった。
 確かにルーマニアからはイタリアにも不法入国して出稼ぎに来ているのもいる。民主化したとしても共産政権時より経済はインフレが続き、失業率は高い。そこへきて不当に出国しようものなら取り押さえられてしかるべきである。ただ一般の人々がそこまでして不自由を強いられる事に憤りを覚えるものだ。日本にいればこんな現実に出会う事などない。自由があたりまえ。何をしてもいい。何をしても誰も何も言わない。誰も関与しない。それとはまったく反対の社会。生きる事に必死になる人々。彼らもまた僕ら日本人と同じ人間である。でも扱かわれ方が異なる。
 生きやすい事はいい事なのだろうか? 幸せな事なのだろうか?


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