僕がこの国に来て、いつのまにか二桁の年月が過ぎ去っていた。
イタリアに滞在すると決まって、それから初めて目にした世界。ミラノでなくとも、イタリアでなくとも、正直どこでもよかった。
自分という存在が一体なんなのか、サッパリわからなかった。でもそれはいまでも全く変わらない想いではある。僕が見ているモノはどこに向かっているのだろうか。
頭ではいろんなことを知ることが出来、いろんなことをイメージすることも出来た。いまほど手軽に情報共有できるような時代でもなく、足を使って出来うる限りのモノをかき集めていた。
本を読み、音楽を聴き、舞台に触れ、映画を観、人と話し。
物事を信じ、見えない世界に傾倒し、人に裏切られ、人を傷つけ。
それでもわからないことだらけ。
世はそこはかとなく不思議に出来ている。
何かに憧れ、人の想いに従い、そこに浸ろうともして、つまずき、手を差し伸べられ。
自分の目で見ていながら、見えていなかった現実の世界が目の前に広がっているのだ。自分が頭で想い描いていた世界は、ここにはなかった。
ミラノの郊外にある、ランブロ公園。ここに流れている急流の川を目にしていたら、いろんなことが一瞬に駆け巡っていた。
イタリアに来たわけの一つがここに見えていた。
スクリーンの向こう側にあったはずの景色がここにある。僕が想っていたはずの風景だ。
エンジン音を耳にしない、360度アスファルトを目にしない場所。
空が広く、生き物がたたずむ石の上。木の枯れ葉。鳥の羽ばたき。水の強さ、そして重さ。
でもこれは現実であって、スクリーンではない。
フィルターを通した画と、いまの画。手前の方がよかったという想いもあるが、それもこちら側に来たからこそ想えることでもある。
世界は確実に広がってきたが、まだまだ足りない。現実に触れること。人の想いに触れること。
いろいろを見て、いろいろを知ることが出来たように思えるが、わかったようなフリをして、人をだましてしまうこと。それは自分でも気がつかないうちにやっていることがあるだけに、それが一番怖いことかもしれない。
だからこそまだ知らない世界。新しく開拓していきたい。知っていると思い込んでいるものでも深く掘り下げて、もっとわかりたい。
しかし人がどれだけ尽くして築きあげてきたものでも、一瞬でぶちこわし流れ消えていってしまう。
人の夢は「儚い」のだ。

最近のコメント