2007年4月19日 (木)

浮かび上がってきたもの - Parma 6

 昼も終わり、午後の作業を見ようともう一度オッサンの工房へと行く。オッサンは工房にはいなくて、向かいのショールームにいた。オッサンに気がつかなかった僕は、オッサンに声をかけられて気がついた。ショールームといっても古くさい家具、いわゆるアンティークを扱う店だった。
 てっきり午後も作業の続きだと思っていたが、とりあえずこの古ぼけたショールームを案内してくれた。オッサンは久々に話を聞いてくれるカモを見つけ弾丸のように話してくる。まぁ、イスに座れと2時間以上話しただろうか? スゴい勢いで話していたが、僕にはほとんど何を言っているかがわかった。オッサンは人生は楽しくて素晴らしいということを言いたかったんだな。それをほとんど言わずに回りくどくいろんな話をするのはイタリア人らしさなんだろう。
 得意になって話していたオッサン。僕が一番いいと思ったのはネガティブさがなかったこと。最初オッサンに見たイメージとは違う人物像が見えた。古くさいアンティークなものに一途に気持ちを投入するオッサンを見て、改めて古いものを大切にする文化は美しく思えてくる。

 イタリアへの逆襲。それはやろうと思えばできるもんだということ。自分の捉え方次第。
 負けるなジャポネーゼ!


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2007年3月25日 (日)

ブルーモスク - Istanbul 3.2.2

 イスタンブールといえばブルーモスク、と言われるくらいのイスラム教の巨大寺院。モスクには今回の旅で初めて入ることができ、そして何度か訪れていた。中心地にある大きなモスクだけに、中に入れる時間が制限されている。信徒たちが祈りを捧げるスペースは足を踏み入れられず、それでも祈りに来ていた信徒もいた。
 祈りとは「神との対話」などと一般的には言われているが、僕にとっては自己確認のような、自分自身を律したり自己洗脳のような感じに捉えている。だから彼ら信徒が神への祈りを捧げる心境というのは、それがイスラムであろうとキリストであろうと、僕には理解するのがとても難しいもの。いやそれは理解するのではなく感じるものだ。とも言われるだろう。
 いずれにしても僕が感心するのは、そこまで自分の心を捧げられるということ。滅私である。そして神の教えに忠実に生きているであろうことが、この旅を通してつくづく実感させられながらここまで来た。それは日本人にも先祖代々から伝統的に伝えられている、顕在意識にはのぼってこない心の奥底に潜んでいるサムライ魂にも共通するものがある。だからトルコ人は親日感情も芽生えるのかもしれない。トルコ人は総じて温かい


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2007年2月19日 (月)

ムアンマ - Konya 10

 ここコンヤで出会った人々はとても印象的だった。インフォメーションで出会って街を紹介してくれた彼がとても親切でいろいろと相談に乗ってくれたのはもちろん、博物館で出会った女の子たちも強烈に脳裏に焼き付いている。またメヴラーナの美しさは当然のこと、その帰り際にも博物館付近で女の子に声をかけられた。
 トルコ人は親日感情が強いとは聞いていたが、ホントにそのようだった。いやもしかすると彼女たちは、机上での理論だけで学んでいる英語を、活きた形で試す数少ないチャンスを求めていたのかもしれない。僕がインタビューするときも常にいろいろなことを想定しながら知らない人に声をかける。何の気なしにやっているつもりもなく、やはりそれなりに勇気を出して声をかけるもの。そんな自分のことを考えると、彼女たちも僕に声をかけるのは、ましてや普段から慣れているわけでもないことをやっているのだから、不安はつきまとっているはずである。
Do you speak English?
 そう言った彼女の笑顔も脳裏に焼き付いている。とにかく時間がなかった僕はすぐにその場を去らなくてはならなかった。でも僕はこの国の人々の優しさの多くに触れてくる中で、日本人に対して好奇な目で見てくる人々のホントの感情を知ってみたかった。少しでも聞いてみることは悪くないのに、話すことができなかった。僕は日本人としてその場で彼女らを傷つけることはしたくなかった。僕の行為イコール日本人そのものの態度と受け止められるのだから、せめて「また今度話そう」とでも言っておけばよかったかもしれない。彼女らの好奇心は決して悪くはない。
 そんな出来事に後ろ髪を引かれながら、いろいろと世話になった彼に最後まで世話になって、挨拶をしてコンヤをあとにした。


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2007年2月14日 (水)

メヴラーナ博物館 4 - Konya 5

 更に先を行くと今度はメヴラーナのいろいろな展示物がある館に着いた。大きなものから小さな人形。筆で書いたような絵や写真。信者たちは巡礼や魂を求める旅などというよりも、ただの観光客かのようにおしくらまんじゅう的に順番に押し出されながら先を急いでいるだけだった。ここでは心を休めることなど無理だろう。これはトルコ国内でも一大行事のようだったから。

メヴラーナ - 僕はただその美しく幻想的なダンスの写真を見て一目惚れしてここまで来ただけだった。教義云々などというよりも、その芸術性の高さに魅了されたというのが本音だ。しかしここまで来ればやはりその教えというものもどんなものなのか知りたくなるものでもある。僕はメヴラーナのポストカードを買おうとしていた。いろいろ物色している中で見つけた一つのカードを紹介します。

メヴラーナ 7つの教え
1.恵みと助けは流れのように与えよ。
2.情けと哀れみは太陽にように与えよ。
3.他人の欠点は夜のように隠せ。
4.怒りといらだちは死のようにあれ。
5.謙虚と謙虚さは土のようにあれ。
6.寛容は海のようにあれ。
7.あるがままに見せるか、見かけのごとく振舞え。

 こんなことが書いてあった。決して間違ったことではないので素晴らしい。そして一つ気に入ったのはやはり芸術性を帯びている点。キリストの例え話のようで、例えにしているのが自然であること。子供にも伝わりやすくなっているのが素敵だと思えた。人の信仰は真実や誠実さへと傾くものであろう。メヴラーナは真実と芸術と宇宙の広大さを兼ね備えているものなんだろう。



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2007年1月24日 (水)

痛みの時代を耐え抜いてきたであろう人々 - Bucureşti 6

 移動の地下鉄に乗る。路線もさほど多いわけでもなく、行き先も限られている。それでも初めて乗るわけであって言葉もよくわからないとあれば、迷うこともある。地図と路線図を片手に行き先を確認しながら階段でウロウロしていると、おばちゃん二人組が声をかけてくる。

「どこへ行きたいの?」

 きっとそう言ってくれたのだろう。地図で示すと彼女らと同じ電車のようだった。自分から求めていけば教えてくれるようなものの、田舎町ならまだしもミラノにいてもこういう親切はあまりない。移動の間、電車に乗っていてもしきりにこちらの様子をうかがって心配してくれている。そしてここで降りなさいと指示され、同じ駅で降りる。笑顔で階段を上り「ムルツメスク (ありがとう)
 電車を乗り換えると、作業服を来た土方のような兄ちゃんがいた。外人が珍しいのか、やたら僕の表情を眺めている。突然乗客が皆降りようとする駅に着いた。のほほんと座っていると兄さんが「ここで終わりだ、降りろ」と伝えてくれる。彼も笑顔で去っていく。
 いきなり途中でおろされ、同じ行き先の電車などどうやって見つけたらいいのかすらわからず、途方に暮れてまたウロウロしていた。すると今度は同じ車両にいて僕のそんな行動を見ていた女の子が「向かいに止まっている電車が同じ行き先よ」

 何度となく助けられた。こんなの大したことないし、イタリアでもよくあることだろう。ただ僕がいろんなところをまわってきた中で思ったのは、それぞれの土地にあるバックグラウンドによって人の動きが異なるのではないかという事。そんな見方をしてみた。
 以前、常夏の国から極寒の街に移動したとき、温度の高い南方の人間は心も広く温かい。などという事を考えた。一概に言えるものではないがそんな傾向が見えたという事。ミラノとナポリ、北海道と沖縄でもそんなのが見えるかもしれない。

 ここルーマニアは数年前に独裁政権が民衆によって打ち倒された。それまで東の国の人々はそんな自由の少ない束縛された寒い時代を送っていた。しかもその時代を生き抜いて来た人が、いまの社会を支えている。僕がこの日出会った人たちもそんな悲しみをちゃんと知っている人々だったはず。クロアチアでもそんなようなものを感じたし、カンボジアでも人々の安らいだ笑顔は平和を取り戻せた喜びのような菩薩みたいに見えた。


 人々は悲しみにあふれた社会にいても、和を求める。そんな痛みを知っている人々は、人に優しくしようとする心を持っている

 それはこの移動の間での出来事もしかり、駅でホテルの場所を聞いていろんな人が通りの場所を教えてくれようとした事もしかり。
 こんな少しの間にこれだけの優しさに触れられたという事で、東の国で探し当てられた美しい心を感じ取れることができたのは僕にとって大きな収穫だ
 そんな意味では日本もすでに危ういし、僕ら戦争を知らない世代などに理想的な国家形成など難しい。



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2007年1月18日 (木)

美しい街並を背に - Sofia 13

 短いながらもピンポイントでいろいろと経験させてもらったソフィアでの日々。表立って特徴が見えた人々ではなかったが、ちょっとした触れ合いの中で味わった優しさは、こんな旅の中では本当の意味では理解できないものなんだろう。いろんな国をまわってみても、各々の国をわかるまでは、土地の人と交わす生活に入り込まなければならない。いやそこまでしたとしてもわかるものでもない。実際に僕はイタリア人の事もわからなければ、日本人の事ですらいまだによくわかっていやしない。人間とはそういう難しい生き物だ。
 それでも僕は人に希望を抱いている。人にははかりしれない、表面だけではわからない何かが潜んでいるものだと。何とも思っていなかったのに思いがけずイイものと出会う事もある。人と関わりを持つ事でイイことがある。それがよくない事より1%でも越えたら良かったと思える。そんな自分で在れたらいい。
 何とも思ってなかったドミトリーの宿で、主人の優しいおもてなしに触れたり、下人のような人に彼らのコミュニティに招き入れられ、人の温かさと出会えたり。
 世の中何があるかわからない。イヤなこともあるけれど、イイことがあると願っていれば踏み出す事もためらわずにいられるような気もする。



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2006年8月20日 (日)

映画にあるような出会い - Ljubljana 13

 夕べの寒さがウソのように、太陽がさらに暑くさせている。上着を脱いで半袖になろうとベンチに腰掛ける。ちょうどいいので休息もとる。一人、川を眺めながら物想いにふけろうとしていた。短いはずの旅が妙に長く感じるのは、夕べの出来事が大きく、言ってみればいまの自分の人生そのものを体現していたのではないだろうか?
 なんて事を考えるや否や、後ろから何事か僕に語りかける声が聞こえてくる。日本でいうならば、なかばナンパされたようなもの。
 名前はモラン。イスラエルからスロベニアに学生として住んでいる女の子だ。いまは学生だが、いつしかこの街で働きたいという。僕がイタリアにいる事を告げると、どうしたら働けるのか? 興味深げだった。彼女はここリュブリャナが好きでリュブリャナで働いて生きていきたいようだった。
 僕が日本人であることを言っても、日本が経済大国であることをよく知らないようだった。僕は僕でイスラエル人と知り合える機会など、まずないことだから面白い出会いだと思った。昨日のカタリーナにしても今日のモランにしてもベンチがきっかけでの出会いだ。
「映画にあるような出会いなど滅多に」あるもんである。その後は活かすも殺すも自分次第。誰かが書いたこんな詩がある。「見知らぬ街で見知らぬ君と出会っても、僕は君を知っている


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2006年8月11日 (金)

同じ人間の幸せの基準 - Zagreb 8

 帰りの列車の中、イタリアのインターシティにありがちなコンパートメントタイプの6人がけのボックス席だった。クロアチアかスロベニアかわからないが、品のある年配の女性とルーマニアの女性が座っていた。あとから僕の正面にイタリア人男性が座った。ザグレブからリュブリャナなので国境でコントロールが入る。日本人はまだ信頼度が高く、まともな扱いをされる方だが、まれにムカつく職員もいる。僕はいつも不安になるが問題になった事はない。
 ユーロ圏の人はフリーパスのようなものでもあるかのように、書類を見せてあっさりとOK。僕もパスポートと顔をしげしげと見られたもののパス。かわいそうなのはルーマニア人。何を言っていたかはまったくわからないが、激しいやり取りがしばらく続いた。パスポートはコンパクトタイプの顕微鏡のようなものでじっくり見られている。日にかざしてみたり、相当な用心ぶりだった。
 確かにルーマニアからはイタリアにも不法入国して出稼ぎに来ているのもいる。民主化したとしても共産政権時より経済はインフレが続き、失業率は高い。そこへきて不当に出国しようものなら取り押さえられてしかるべきである。ただ一般の人々がそこまでして不自由を強いられる事に憤りを覚えるものだ。日本にいればこんな現実に出会う事などない。自由があたりまえ。何をしてもいい。何をしても誰も何も言わない。誰も関与しない。それとはまったく反対の社会。生きる事に必死になる人々。彼らもまた僕ら日本人と同じ人間である。でも扱かわれ方が異なる。
 生きやすい事はいい事なのだろうか? 幸せな事なのだろうか?


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2006年8月 9日 (水)

暴発する強さ - Zagreb 6

 わずかな時間の滞在中に僕が感じたのは、クロアチアの人からは気の強さのようなものを感じられた。それは気性の激しさというより、穏やかさの中に見られる信の強さというべきものだろうか? ステレオなことしか書けないが彼らは紛争の中を生き抜いた人々である。日本人などにはない生き抜くための賢さがあるのだろう。自分が生きのびるためには人を出し抜いていく。それは経済的な生易しいものではない。無実の罪を着せられても生きなくてはならない。アウシュビッツとまではいかないかもしれないが、精神的に絶望、孤独のふちにいても「在る」ことを強制されているようなもの。日本人向けには「ショーシャンク」と言えばいいのか? そんなドラマのような作り上げられたメンタルなどでもない。それは僕にもどうやってもはかりしれないもののはず。
 そんなこんなを想像してた。立ち止まって考えていても始まらない。結果を出して自分を納得させねばならない。中心を外れてさっきも行ったモニュメントのようなところへもう一度行ってみる。でもやはり人気はなく、撮る素材すら見当たらない。と、ふと振り返ると学校の入り口のような敷地内に女性が三人座って話しをしていたのを思い出した。戻ってみると三人はまだいた。行ってもいいだろうか? ちょっと躊躇する気持ちが僕の中にあった。とびこまなくてはならないのは経験上よくわかっていること。単純にそうできないのは、僕も人間だから。
 気分転換に他を見回してから戻ってみることにする。そして戻ってみれば彼女らの姿はない。こういうもんである。だからこそ人生後悔のないように、その瞬間瞬間を爆発して生きないといけない。そう、芸術は爆発なのである。


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2006年5月 6日 (土)

Pizza OK

 あのカルチョ狂がミラノに再上陸した!
 チャンピオンズリーグもセリエAも終わりだというのに、ミラニスタと言えど何をいまさらミラノに? 思えば去年籍を入れたはずのカルチョ狂の新婚旅行はまだだった。スペインへのカルチョの旅ついでのミラノへのご挨拶訪問。カルチョ狂と奥さんと一緒に近くのピッツェリアへと向かう。
 カルチョ狂のかなりのお気に入りのピザは「78」。生ハムがのっている。奥さんのはキノコ盛りだくさん。このピッツェリア、かまどもちゃんとある本格的なピザ専門店でなんと86種類ものピザがあり、注文するにも番号で伝えるのだ。これだけ種類があれば番号など言わずに自分好みのトッピングピザも作ってくれそうだが・・僕が注文したのは「118」。ジェノベーゼペーストにパンナ、小エビ、プチトマト。うまいだけではない。写真を良く見て欲しいのはピザが浮いていること。イタリアのピザは大皿一杯にのっかってくるのは当然だが、ここのはオーバーなくらいにはみ出している。ピザを切るのも一苦労する。そして生地がかなり薄くペラペラ。食べてみればかなりの量があり、これだけで充分腹一杯。客席は100席あり、子供も大人もどんどん入ってくる。流行りのピッツェリア。うちの近くなだけに来客のときは安心して案内できる。
 ミラノには泊まるのに、食べながらでも口の止まらないカルチョ狂。ここのところガゼッタなどでも報じられているようにユベントスの審判操作に揺れているセリエA。以前からパルマの脱税やチェッキ・ゴーリの破産など裏の問題が山積みの世界最高峰リーグ。ユベントスと言えばモッジGM。シエナの選手が云々、パレルモ戦では云々。いろいろと語っていた。ときたま僕に合わせて野球ネタで例え話をしてくるのは、やはり普段から子供相手にわかりやすくものを伝えようとしているからだろうか? 指導者として必要な素養ではあろう。
 彼と会うといつも不思議な風が僕の前を通り過ぎていく。大胆さと几帳面さ。自分の考えを熱く語る一方、ふと冷静にもどる。二面性があるのかないのか。典型的な体育会系のこの男。そして貧弱なオタッキー・映画好きの僕。吹けば飛んでしまいそうな僕を相手にしているのは、きっと人を見るのが好きなんだろう。映画でもそうだが、カルチョの世界でも監督をする者、人間探求は死んでも終わりのないものだ。この男は相手を分析するだけではなく、人を大切にする温かさがある人である。それこそが狂人に共通する要素のはず。


Pizza OK


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2006年4月 8日 (土)

走り出せば止まる事を知らない人々

 知人に誘われてイタリア人と日本人のいる飲みの場に行った。まさかここでこんな不思議な光景を目の当たりにするとは思わなかった。
 イタリア人はキウーゾ (閉鎖的) とか内輪で固まるとか、会ったり飲んだりするのはいつも変わらない同じメンバーだといろいろな人から聞いていた。実際そういう人と僕は会った事もなく,出会ってきたイタリア人はとてもシンパティコ (親しみやすい) で、僕自身はいろんな人とつきあいをしている。
 ミラノで会う友人もとても親切でよくケアしてくれる。行く先行く先で突然出会ってきた職人たちも、そんな僕に対しても親切な応対で接してくれた。ジェノバのロレンツォが言っていたのは「ジェノバの人間はとてもキウーゾで君みたい日本人が来ても打ちとけられないだろう。僕ですらそうだから」という。僕は「ふ〜ん」という程度で実感が湧くはずもない。「じゃ、君はパルティコラーレ (ちょっと変わり者) なんだね?」と聞くと「Si」と返された。
 僕が来たのはミラノ市内の南の方のバール。早い時間はハッピーアワーでドリンクは安く、ちょっとしたつまみはタダで食べられる。だから一杯しか飲まずに何時間もしゃべり続けるイタリア人にとっては、3〜4ユーロもあれば夜は過ごせるのだ。
 イタリア人は 3人いた。仕切り屋のようによくしゃべる男が一人,それに相づちを打つように相手をする男。その脇にイタリア人相手の日本語教師の女性。もちろん僕は彼らとは初顔合わせ。僕は彼らを知らないし,彼らも僕を知らない。でも話す内容と言えば,よくわからない。イタリア語を理解しきれないというのもあるが,正に内輪の話に終始している。日本人がいるのに日本語を話そうともしないのも理解できない。日本が好きなのではないのか? 日本語を話そうとすればたどたどしい。
 何故日本人と空間を共有しているのか?
 僕には理解できなかった。彼らはただ自分がよく知っている友人と一緒に、自分のよく知っている事を話したかったのだろうか? 僕は新しい感覚を取り込みたいがためにここに来ているのに,共通項を見いだす事もないまま,お互いが近寄る事もないまま平行線をたどる事が怖かった。もったいない。
 一人が僕に何をやっているのか話しかけてきたものの、そこから広がる話もたかが知れている。彼らはミランが勝っただとか、デルピエロがどうのこうの、ではなく「彼は」「彼女は」という自分たちの作り上げた空間の中にいる存在を面白おかしくしゃべり続けている。その彼や彼女が一体どういう何者なのか知るよしもない。そこに僕の入るスキなどない。それとも入ってこられるのが怖いのだろうか? 自分を変えたくないのだろうか?
 彼らが言うには話の腰を折っても話に入ってくれば相手にするという。確かに海外ではそういうものである。自己主張なしに、誰かが自分をわかってくれるだろうなどと、受け身の期待をしていても道は開けない。一つ言えるのは、この場がどういう場であるかという事。彼らも仕事が終わり,頭悩まされる過酷な労働から解放されてまで,日本語で頭を悩ましたくない気持ちもわかるし,真面目な話よりアホな上っ面の話で気楽でいたいのもわかる。人の余暇をどうして僕が奪えるだろうか? 彼らには楽しんでもらいたいと願うばかりである。ただ端から見た僕が感じたのは、何の魅力も感じられない彼らと自分のエネルギーを費やしてまで彼らと関わる事で、どれだけのものを手にすることができるのだろうか? そう思えば一晩だけの出来事。僕は彼らの人間観察に時を費やした。
 人はいろいろいる。イタリア人の中でもいろいろといる。イタリア人でも痛みというのを理解している人はもっと動きが違っていた。そういった僕が出会って来た人とは異なる、いわゆる一般的なよくあるイタリア人像の彼ら、そんな人間模様を垣間見られた事はそれはそれで有意義だった。
 日本にいたころの職場で、まわりが中国人ばかりのことがあった。当然中国語で会話がやり取りされることがあり、やはりその輪に加わることはできない。ある日、一人の中国人女性がみんなの前では日本語で話しましょうと切り出した。言葉で壁を作っているわけだったから彼女はナイスと思った。そう考えると日本語のわからないイタリア人の前で日本人同士日本語で話すのはよくないこと。だが日本人は得てしてやってしまうものである。自分たちにとってはわかるものだからいいが,外国人にはわからないし,何を言っているか、何を言われているか気になるものである。気まずくもさせてしまう可能性もあるという事。
 ホントに笑えたのは、彼らは話す人間同士でしか顔を向けあわない。顔を向ける方向で外部に対して完璧に壁を作り上げていた。それからもっと笑えるのは、みんなと僕との会話は僕を誘った知人を介して行われていたこと。みんなは知人に僕のことを質問して、知人が僕のことを答える。本人と直接やり取りすればいいのに間接的にやるのは日本人ぽさすら感じられた。
 イタリアの集合住宅のつくりを見ると、必ず中庭に入ってから自分の部屋の入り口に行く構造になっている。周囲は囲まれていて,外部とは仕切られている。また各都市との構造を見ても昔の城壁の名残が必ずと言っていいほどある。城壁によって敵や他国からの侵略を守るためである。こんな事を見るだけで,この国の人は深層の部分では外部から自分の領地を荒らされる事を無意識のうちに嫌い、守る事に終始しているように感じる。
 仕切り屋の男が自己満足的にみんなの前でしゃべりまくっているのを見て「あいつしゃべりすぎだから、あいつをストップさせたらいい」と隣りにいる知人に言うと「彼がしゃべって雰囲気を作るのがいい」といっていた。それは僕にとってはどうでもいいことだが、少なくとも日本においてそれでは参加している個々の個性なしで時間が過ぎ去っていく。個々がしゃべる時が必要だと僕は考えていた。彼の個性だけが露出していたところでそんなのどうでもいい事である。日本人ならもう少しお互いの接点を見いだす努力をするはずである。そのとき人が何を感じているか察することのできるこの繊細な感覚は、言わないとわからない海外の人間と違う日本人の美しい感覚だろう。行間を読めるというか機微を感じられるという事だ。
 しゃべりすぎの男が隣りの日本人と二人でしかわからない話を始めると、途端に場は静まり、彼ら二人と関われなくなったイタリア人もあきれていた。正にそれがこの時の僕の立場であったが,それが彼らにわかっただろうか? そんなことをわかって欲しいという事ではなく,そういう関わりを作らない事をこの国ではそういうもの (当然のこと) と考えているというからおかしい。ただ次第にその場は他の人間同士で話し出す空間を作っていた。
 僕は疲れて途中で席を立ったが,金曜の夜だけに彼らがいつまであの空間を楽しんでいたかと思うと,ゾッとしてくる。ひきめでこういう不思議な人間模様を冷静に分析するのも面白かった。


 テレビでロベルト・ベニーニが大学のようなところで芝居のようなしゃべりで講演のようなのをしていた。一体なんなのかはよくわからないが、ベニーニを見るのは珍しかったので撮ってみた。



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2006年3月30日 (木)

花の表情

 家の近くの停留所でバスを降りると懐かしい空気を感じる。わずかながらの色に僕が反応したのはピンク。ソメイヨシノの発祥地で育った僕は、小さいながらも車が走り抜ける通りの横で生き抜くサクラに心を奪われる。子供の頃に味わったのは、ソメイヨシノの花のアーチをくぐり抜け学校へ通った日々であり、まるで花が僕を迎え入れてくれているようだった。陽の光とともに伝わる温かさに感謝して、サクラの美にひたる。
 イタリアでは花見の習慣はない。イタリア人の住むベランダにはかなりの割合で植木が置いてある。心の余裕というべきか、とても愛らしさを感じさせてもらえる。イタリアを歌舞伎と例えるのであれば,日本は能。僕が思うに能は静かな中に生きる温度を感じさせる芸術のようで,日本独特のものであり、自分の作風に近い気がする。
 ゴロゴロ鳴り響いていた雷もウソのように,暖かい春の陽気が射してくる。駅前ではスケボーをしたり、サッカーボールとじゃれあう少年たち。バスに乗り込むと「ヴァレリアー! ヴァレリアー! 」と呼ぶ男の子が二人。当のヴァレリアはお母さんと一緒に席で落ち着いていた。呼び声に気付いたヴァレリアはスッとドア付近まで近寄り、手を差し出して合図を送る。何気ない風景に心も温まる。一度サヨナラをして距離を置いても、それでもまだコンタクトを取ろうとする。
 こんなやり取りを見る度にいつも日本人の距離感の長さを想う。子供であるからこのような風景は日本にいても皆無ではないにしても、懐かしめるのは何故だろうか? 例えばドゥオーモに行く車内アナウンスのない地下鉄の中で日本人と出くわしたとして、僕が予想するのは真横にいながら「次ドゥオーモだよね? そうだよね?」とわざと僕に尋ねるかのように、隣りにいる友達か恋人に確認する。この辺、中国人はたくましいというか区別がつかないのか、日本人にはよく声をかけてくる。
 日本人はサクラを美とする。それはなんとなく絵画的な気もする。生き方も伝統的に静けさを他人に読んでもらうものののようだ。日本人の心の根に息づいているものなのだろう。
 クリスマスから大事に温室育ちにさせていたポインセチアもこの暖かさに機嫌を良くしたのか、いつになく元気そうだった。彼が生き続けていてくれるというだけで彼は僕を楽しくさせてくれる。



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2006年3月26日 (日)

LA NOTTE BIANCA

 春の足音が聞こえてきて、夜になっても体が温かくなってきた。ずんぐりむっくりのジャンパーを着込んでいるのはアフロ系くらい。ヨーロッパを始めとした世界各地ではこの日深夜を境に時差が生じる。北半球ではいわゆるサマータイムになる。ミラノでは LA NOTTE BIANCA (白夜) と称し,夜通しお店も開いているようである。早いこと日本でもこの制度が施行されることを望む。
 ブエノス・アイレス通りを歩くと,そこは夜通し歩行者天国になっていて遊園地と化していた。メリーゴーランドから観覧車、UFO キャッチャー、重量ゲーム、エアードームのような滑り台、遊戯施設、まぁとにかくいろいろとあった。バールも本屋もベネトンも靴屋もかなりの店が開いていた。東京で言ってみれば原宿から渋谷までの明治通りに遊園地が広がってしまったような感じか? 公衆電話の受話器の向こう側の聞こえない声と話をする子供、砂ぼこりのようなものを手に路上で小物を売るオヤジ,サンシーロから瓶ビール片手になだれ込んできたミラニスタ,様々な人間模様が見えた。
 さすがにここのところ朝は陽の光が差し込んでくるのが早く,寝起きの悪い僕もサマータイムにあわせたかのように勝手に体が反応してしまう。翌朝にもなれば同じ時間でも少し暗い朝を迎えることになるが,しばらくすればまた同じように明るい朝になる。北欧にもなればそれこそ白夜になると言われるが,僕はまだ体験したことはない。でもイタリアでも時間を勘違いするほど日が長くなるのを知っていると,その感覚もわからないわけではない。いやしかし純粋にどうしてこんな現象が起こるのだろう。と考えてみた。こんな事を思うたびに子供の頃もっと勉強しておけばよかったと思う。これは地学だなぁ。
 こういうことは大人がよく感じる事であろう。子供の頃にそういったことを聞いて、頭ではわかるが別に本気にはならないものである。それは当然だろう。知識なんて僕に言わせれば意味のないもの。実際に見て聞いて体で感じて実感したものが、自分のものになるのである。何故時差が起きて何故日中の時間が長くなるのか? ちょっと理屈をイメージすればわかるんだろうが,そう思ったときに知ればいいのである。子供の頃にいやいや知識を詰め込まれても、実感など湧かないし身に付かない。海外に出ていろんなものを見て回ってきたが,その度に知りたい事ばかり出てきた。学生のときにすら学ばなかった事まで。
 土地の空気を感じ,そこの人と同じもの食べ,そして共に歩く。何が彼らの悲しみなのか? 何が喜びなのか? 何が必要なのか? ウォール街のスーツを身にまとったり,マサイ族とジャンプをしたり,ハバナで葉巻を買わされてみたり、ボスニアの街角でサッカーボールを顔に受けたり,その人間と同じ境遇に触れて同じ目線に立って感じないとわからない。笑いながら相手の弱点を突っ込めるような状況が理想である。ウソの理解など彼らは欲していない事にも気がつく。




 世界一周した時は一日に一時間ずつ長くなって 25時間生活していたときが24回あったものの、ある日突然消える日が生じるのだ。実質生きている時間に変わりはないが、概念として一日が消えてもったいないような気もした。
 時差に慣れていないと、翌朝まで気が気でない感覚が続く。翌朝は必ず日曜ではあるものの,待ち合わせの時間などを間違えるととんでもないことになる。ちなみにこのココログで時差の生じる存在しない時間帯に投稿の予約をすると「問題が発生しました。」と出て投稿できない状態になった。以下

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2006年3月10日 (金)

カルチョ狂

 我が家にカルチョ狂がやってきた。ペルージャに住むサッカーチームの監督を目指す日本人である。彼はサッカーの本場イタリアで公認ライセンスを取得し、世界的な指導者を目指している。なんとも素晴らしい夢なんだろうか!! 日本でも幾多の夢かなえたい人に出会ってきたけれども、海外に出れば本気のレベルもケタ違いである。サッカーなんて詳しい事は僕にはわからない。けれどもサッカーを熱く語る彼の眼差しにはやはり引き込まれるものがある。

 彼はおかしい。何かが違う。狂っている。

 イタリア人の中に飛び込んでいって、日本の指導者たちとの違い、文化の違いを肌で感じている。そしてそれを一歩引いた目で分析し、自分の中に取り入れる。僕の場合、監督とはいっても人を率いるというよりも、むしろアーティスティックな部類。彼のように指導者であるという事はイコール、よりよい方向へと導く、人の人生を左右しかねない人物だ。ある意味、未来の地球を背負っているようなもの。僕自身、彼にかける期待は大きい。世の中をもっとよくする可能性を秘めているからだ。
 イタリアと日本の違いを目の当たりにしているという事は、お互いの良さも知っている。もちろん日本人が世界と対等になれることも知っている。プロのフォーメーションを見ても自分ならこうすると僕に語りかける。理屈を聞けばなるほどとわかる。であるならば実際に彼の監督するチームのプレイを是非見てみたい。
 非常に勤勉なところがいかにも日本人ぽいが、サッカーを指導し,観戦し、そして自らプレイする。サッカー漬けの日々は僕にはうらやましい。すべてがサッカーに染まっている。サッカーを通して人生を見ているんだろう。ホントただのキチガイだ。
 そんな彼がポツリと言っていた。非常に人間的で根源的な願いだと思う。
「器を大きくしたい」


『カルチョ革命』


 ところで今回お送りする映像はかなりのレアもの。数年前ミラノに鈴木清順監督が来られたときに案内したパルマ・ランギラーノの生ハム工場でのワンシーン。絶え間なく「ハァハァ」呼吸して、いまにもコロッといってしまうんではないかと思った。プロデューサー「監督をここまで歩かせたのは君だけだよ」僕「次回来られたときは安心して下さい。もっと歩いてもらいますから」こんなイタリアンなジョークをかましてその場をなごませたのでした。いま監督が酸素ボンベをしているのは僕のせいだったかもしれません?? 「ピストル・オペラ」公開後「オペレッタ狸御殿」製作前でした。そういえばこのおっさん「一期は夢よ、ただ狂え」って言ってた。
 写真はその工場で作られた職人さんからもらった生ハムのかたまりです。本場の生ハムは昇天してしまいそうなくらいうまくて、最近になってせっかくもらってきたものもホンのわずかしか残っていません。これもあと少ししたら消えてしまう・・


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2006年3月 8日 (水)

近くのレストラン

 ずっと気になっていたレストランがある。夜になるといつも必ず満員になっている。そんなにうまいんだろうか? と今日初めてうちの下のレストランに入ってみた。うちのパラッツォとは別の棟だが同じ建物である。こじんまりとした店内で決して広くはない。かまどもなくピザは出していない、海鮮関係もないパッとしないメニューに目を通して選んだもの。

Spaghetti alla d'Annunzio (acciughe, copperi, pomodoro) - 6.50ユーロ

 名前を見てここの近くの通りの名前だから、ここのメインのスパゲティだと思っていた。「ダヌンツィオ」は僕が記憶していただけであって、近くの通りではなかった。ムッソリーニにも影響を与えた作家の名前だった。
 とにもかくにも口にしてみたこのスパ。見た目にもパッとしなくて久々はずしたか? と思いきや本日も大当たり。麺が太くて固い。先日コモで食べたパスタに近い感覚。こんなどうしようもない場所で小さいながらも細々とやっていけるわけがわかった気がした。これはいける。
 一緒に出てきたパンが焼きたてでバターものっていた。これはめずらしい。




 久しぶりにうちの下のアジア食材店に行って米を買った。米は5kgで3.8ユーロ。600円くらいだろうか? 僕はそれしか買い物がないのに、僕の前にいたイタリア人のおばちゃんがいろいろと買い込んでいて、店のあちらこちらから商品を取りにいってはレジに持ってきてを繰り返していた。あまり日本じゃ見かけない光景だろうが、気長にはたから眺めながら待っていた。自国のものでない商品を見ながらあれは何だこれは何だとたずねる。しまいには予算オーバーだからと最後に持ってきた瓶に入った肌につける何かをいらないと言っていた。レジの女も苦笑いしながら僕を見る。その女も間違えてレジを打たずに袋に入れてオバチャンに渡してしまいそうになり、オバチャンが逆に突っ込んでいた。
 こういうどうしようもないオバチャンは日本でもいるのだろうけど、この場が日本ではないからだろう。別に僕に愛想をふるうわけでもないオバチャンなのに、何となく微笑ましくもあり「仕方ないなぁ」と思いつつもしばらく待っていられた。時間の価値観を変える事で見えてくる面白さ。せっかちにならずに適当に流すのもこの国で生きていくのに必要な事でもあるのだろう。
 アメリカなんかだったらこんな店も巨大なスーパー化しているんだろうけど、アパートを間借りしての個人経営。しかも外国人経営だからここもこじんまりとしている。個が浮き出てくるのがこの国のいいところ。オリジナリティであふれている。僕の肌にもピッタリと合うはずだ。

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2006年2月15日 (水)

温かい感覚の構築 - Bergamo 2

 僕の最近の傾向。午前中はそうでもないが午後にもなると時計を見なくなる。腹時計ではないが、自分の感覚で大体何時だろうというのを感じる。いまのこの時代であれば時間を感じるにはいろんな要素でわかる。おなかのスキ具合はもちろん、外の明るさ、人通り、自分がしていることの進み具合等々。
 日本にいた頃に見た映画で、全編ブルー基調の映画があった。サスペンス仕立てだったものの、なんだか落ち着く仕上げだった。この日のベルガモもけっしていい天候とはいえなかったが、何度写真を撮っても色身が青になっていた。人の話す言葉も音楽のようで、理解するよりすっと心の中に響いてくるような感覚。
 人々の言葉は優しい言葉。坂ではあるものの、こう配がきつくはない。天候はよくないものの、雨にはならない憂鬱感が心を駆り立てている。いろんな要素が心地よく響いてくるからこそ、ここにいることの意味がポジティブにとらえられるのだろう。

 映画も似たようなところがある。人に心地よさを感じてもらいたいのであれば、細かい心地よさの感覚をストーリーの中に並べていけばいいのである。例えばその一つがこの「ベルガモという街」であれば、と思ったこともある。



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高貴な街 - Bergamo 1

 しばらくぶりにミラノから30分くらいの街ベルガモに来た。ベルガモには「チッタアルタ (丘の上の街)」と呼ばれる街の中心より高い位置にある城壁の街がある。いってみればドラゴンクエストのような感じか? ケーブルカーで街の上方へ向かう。ここは小さいながらも独特の雰囲気を醸し出していて、静かな中に息づく人々のリズムが美しく感じられる。シエナやヴォルテッラのように坂とレンガが特徴的だ。
 日本に比べればミラノなんて田舎町に思えるが、ミラノの喧噪を考えるとこのチッタアルタは芸術を生み出しやすそうな空間で心癒される。そんな気にさせられる。
 クレモナのリュータイオの話を聞くとよく思わされる。クレモナには弦楽器製作の情報はあふれんばかりにあるけれども、それ以外、必要以上の情報はあまりない。不要な情報がない分、自分のことにひたすら集中できる環境。自分自身と相対していられるということは、自分を追求できるということ。情報は人を混乱させ、ときには本意ではない方向へと追いやる。
 イタリアにいて、ここベルガモのような僕にとって高貴さを感じることのできる場所が多いのは、人々の感じているものが日本とは異なるからであろう。情報ではなく体当たりで人と人とが交差しぶつかりあう。それこそがお互いが理解しあえる要因。人間の原風景とでもいうべき姿のような気がする。いい意味でも悪い意味でもこの国の人たちは関わりあおうとする。



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2006年2月14日 (火)

ライフ・イズ・ベリィ・ハッピィ

 二人ともお酒はあまり飲まずほとんど僕一人で飲んでいた。それでも二人とも終始ご機嫌でいらっしゃった。今回は僕の方が招いたこともあって、ドルチェの差し入れがあった。彼らはクレモナの出身なのでクレモナのお菓子屋さんで買ってきてくれた「ラットゥーガ」というものをくれた。甘すぎず食べやすく日本食の食後でも構わず食べられた。
 人は生まれてきた環境によって自分と他人の間に軋轢を作ってしまうことがある。それがくだらない民族紛争につながったりもする。環境や考え方で人は違ってくるのは当然のことで、同一の人間など存在しない。だからこそ人というのは面白い。僕とは異なる考えに出会うことが好奇心をくすぐるわけであって、自分を理解してもらえないというのは決して悪いことではない。というよりも「あり」だ。それは当然なことであって、そのシチュエーションをいかにすごすかということが、人と人との間にあるものに温度を与えるか否かなのではないだろうか?
 フルビオは別の日本人の知り合いに教わった変なスシの食べ方をしていた。わからないことをわからないままですごしてみたりするのも、相手次第ではお互いプラスの感情にもなるうる。もちろん理解しあうこともいいこと。僕には笑顔をわけあえることが美しいことのように見えた。なぜなら「La vita e' bella」の国で「人生は素晴らしい」というより「人生は楽しい」という瞬間を体験することができたからだ。楽しく生きることのできるイタリア人には僕にとってそれなりにもっと学べることがあるようだ。

フルビオが残した書き置き
bellissima cena, grazie mille -- 素敵な夕食ありがとう



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2006年1月12日 (木)

活きる活力への渇望

 今年のテーマは「熱くなる」こと。イタリアに来て、そして三十路を超えて数年経とうとする。日に日に自分からカドが取れていってしまっている気がしてならない。多くの人と出会い、出会う人々と優雅なメロディを奏でるために人と同調している。20代の頃、人から嫌われようが自分を貫き通してトンガっていた頃を懐かしく思う。
 でも僕にはそんな調和など必要ではなかったはず。なんとなく自分に熱く、自分を強く思えなくなって、心の底から湧きいずるものに飢えている。あのエネルギー満載でパワー全開で己を発信していた頃の自分を取り戻して突き進むことにする。
 落ち着きすぎてしまい始めている自分にはカツを入れ、走り、走り、走り抜く。体を動かし、活力を戻し、頭には知識を詰め込み、脳を活性化させ、活きる、活きる、活きる。いままでいろいろと観てきたものは捨てて、感性を磨き、あたらしい視点で再び世界に飛び出すのだ。


 映像は LODI にある MediaWorld のある施設。ミラノの中心のゾーンにこれだけ大きなショッピングモールのような建物があるとは知らなかった。スーパーからバール、食事施設、洋品店、アクセサリーショップ等、子供の遊戯施設もあり、アミューズメントパークのようなイタリアらしくないところであった。日本では当たり前の映像かもしれないが、これがミラノだと思いながら観ると滑稽に思えるでしょう。写真に出ているトイレには番地がふってあり、90番でした。


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2005年12月26日 (月)

クリスマス

 うちの近くの職人の工房にあった馬小屋のミニチュアを撮った。なんだか気持ちのよくなる光景だった。言葉はいらないのでこの写真で感じてもらえたら、どんなに気持ちのいいことかわかってもらえるでしょう。

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2005年11月27日 (日)

ロッテの強さ

 ロッテがポストシーズンに突き抜けた強さで駆け抜けていった。ソフトバンクとのプレーオフ最終戦をすべて見入ってしまった。さすがに巨人ファンの僕もこの強さが気になっていた。
 ネットでロッテの記事を見ていると公式ホームページにたどり着く。そして各選手のページを訪れると興味深い事態に気がつく。ほとんどの選手が口合わせをしたかのようなまったく同じコメントが並んでいた。
 あの 10.19 の川崎球場を本拠地にしていた頃とは生まれ変わった、新しいチームがここにはあった。ロッテファンの驚くほどの熱狂ぶりである。そして選手たちはホントにファンを大切にしている様が伺える。
 アジアシリーズ最終戦後にベニーが「26」の背番号のユニフォームを掲げていた姿にも象徴される。
 チーム自体は突出したスターがいるわけでもないのに強く、平均的な選手が監督の采配で次々に日の目を見ていく。佐々木のいた頃の横浜マシンガンや若松さんが日本一になったときのヤクルトのような感じ。
 みんな仲間になって一致団結して戦っているかのような、そんな雰囲気に包まれる。仮に結果が伴っていなくともファンは納得するような気もする。が、アジアチャンピオンになったのはファンあってのことであるのは明快だ。
 ここまでファンを第一にしているチームが野球に限らず他に見たことがあるだろうか? なんか組織のあるべき姿の象徴のような気がしてならない。そして映画製作する人間として見習うべき姿であることも忘れてはならない。

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2005年10月18日 (火)

僕がマック派なわけ

 正にここに凝縮されている。
 自分の言葉に言い換えてみるのであれば「映画は人の心を打つための手段であって、ただ単に余暇を満喫させるエンターテイメントではない」
 ホントの真意をずれて見られがちな部分をいちいち指摘していかないと勘違いされてしまう。人の心というモノはとても移ろいやすいものである。一本気に通している人間など、世の中で成功している人でもほとんどいないであろう。僕は今より若い頃から目指していることに変化はない。その手段は変えてはいても終着点を変えたことはいままで一度もない。
 スタイルを変えないということは、柔軟でないということではない。自分の芯にあるものを変えない限り、そのための活動はいくらでも変化に富ませる必要があり、そうしないと前進しない。変えてならないことは心の真ん中にあるものである。どうしようとしているかである。人の心はこの部分をないがしろにしやすい。
 純粋でピュアで何も間違っていないことを人は他人からの揶揄された言葉によって変えてしまいやすい。それは簡単なことだがキープさせるのは難しいことのようである。僕には容易いというか、それが当然なので変えないことに何も感じない。自分の名前が池田であることに何の異論もないことと同じである。

 人はとかく表面的なことで判断しがちではあるが、人々にはそうさせつつも、真意を知ったときにはさらに驚愕させられるようであればそれは愉快なことだ。


●動画に対応しても、iPodのデザインを変えなかったのは、なぜ?

 「iPodは音楽を楽しむためのデバイスであって、ビデオプレーヤーではない」とイング氏。だから、iTMSでは、ミュージックビデオやショートムービーなど、音楽を聞く楽しさを邪魔しない程度の動画を扱う。本格的な長編映画をiTMSで提供するようなことは、当面考えていないという。アップルの真意は決してデジタルコンテンツのプロバイダになることではないようだ。

 「iPod」はミュージックプレーヤー、という考え方は、そのデザインにも現れている。今回の動画対応で確かに液晶ディスプレイは大きくなった。しかし「iPod」としての基本デザインは変更されていない。発表前にネットで飛び交ったさまざまな憶測の中には、本体前面をおおうようなもっと大型のディスプレイになるとか、クリックホイールではなくビデオ操作に適したインタフェースに変わるといったものもあった。

 なぜデザインを変更しなかったのかをイング氏に問うと、「iPodのデザインは、すでに1つのアイコンとして認知されているから」との答が返ってきた。「iPod nano」が発売から17日間で100万台を売ったのも、あのサイズ、薄さで、「iPod」としてのデザインや操作性を実現しているところにあるからだ、とイング氏は分析する。

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2005年9月20日 (火)

見たことのない世界へ

 小学生だった頃、友達と遊んでいるときに見知らぬ人に声をかけられた。僕は何の疑いもなく話を聞いた。一緒にいた友達は僕を残してどこに行ってしまっていた。僕は話をしていた4人の男と待ち合わせをした。僕は家に帰り低学年の頃の国語の教科書を手に男たちのところへ向かった。僕の友達は僕のことを心配していたらしく、警察に通報しようとしていたらしい。
 日本語のつたない男たちは早稲田に通っていた韓国人たちだった。先頭を切って僕に話しかけてきた、むさ苦しい顔をした男はいまだ記憶に残っている。僕は言われたままにしただけであったが、彼らは感謝していた。彼らの汚い部屋にまで呼ばれみかんをごちそうされた。きっとこれが僕の初期体験なのだろう。
 中学になってからは授業に英会話があった。いまは珍しくもないだろうが、当時は英会話のある学校などなく画期的だった。アメリカ人講師とコミュニケーションをとることは面白かった。自分が身につけたものが相手に通じるほど面白いものはない。それといままで自分が見てきた世界と違う世界がそこには展開されていたのも摩訶不思議だった。
 中学で英語を習い始めた頃に実家でパキスタン人を雇っていた。もちろん彼とコミュニケーションをとるには英語でしかない。僕は勉強ではなくて興味本位でコミュニケーションをとっていた。彼から学んだ初めての言葉は ashtray。発音が独特なので聞き取りが難しかったが、タバコを吸う彼に灰皿をとってくれと言われたのを覚えている。
 こんな経験が僕を海外へと追いやるのだろう。それまで見たこともない土地。人。考え。自分の中にはなかった新鮮な新しい思想。斬新な発想。興味本位ではあるが好奇心ともいえる。人間というものは複雑に入り組んでいる生き物で、いろんな要素を取り込むことのできるものであり、様々なものを身につけるということは、それだけ人間としての器も大きくなるものである。

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2005年8月14日 (日)

ある一夜の夢

 南米に住んでいる友達と会ったときに聞いたこと。外をフラっと歩く、ただそれだけで何かしら事が起きる。仕事場に向かうだけで何かがあるという。ここイタリアも日本に比べたら何かしらあるが、僕の経験した南米のそれほどではないだろう。ホントに必ず何かが起きる。
 ミラノの夜、地下鉄での帰り道。いつものようにモノ乞いがまわってきた。いつもはジプシーのような親子が来る事がほとんどだが、今夜はちょっと雰囲気が違う。以前何度か見た事があるのが、義足丸出しで松葉杖をついているおじさんが、妙な発音の独特のイタリア語でまわる。インパクト抜群のそのおじさんは車両のほとんどの人から、マクドナルドのジュースカップをコインでジャラジャラにするほどかっさらっていく。しかし今日のオヤジは新しいバージョンだった。
「グラッツィエ、グラッツィエ、グラッツィエミッレ、グラッツィエ」と独り言か祈りかのようにつぶやいていくのだった。僕はドア横の手すり付近にいたのだが、隣りに座っていたおっさんがコインを入れていた。そして彼は「グラッツィエ、グラッツィエ」僕はこのオヤジに神聖さを感じてしまった。どんな生活をしているかなど僕にはわかりやしない。ただ心の中が何かに満たされている、そんなものを見た気がした。それがなんなのかはやはりわからない。
 ずいぶん前、バイト先の先輩から聞いたことがある。人の価値について。価値というべきものだとは思えないが、その人を表すものは「その人の葬式にどれだけの人が来たか」だという。その人が充実した人生を送れた否かは、僕が思うに、その人が生きている間にどれだけの「ありがとう」を口にしたかどうかではないかと推測している。「ありがとう」を口にできるという事は相手を許している事になる。心の器が広がっている証拠だ。そんな事を考えていた。僕はあのオヤジが幸せで満たされていたと見たのだろうか? だとしたら僕も「ありがとう」を言える人生を送りたい。
 こんどはヨボヨボのおばあさん。ミラノの地下鉄は停車してドアが開いてから一秒もしないうちに閉まってしまう事があります。まったく大げさな表現ではなくて事実です。そのおばあさんには付き添いの人がいたのですが、歩くのは遅く、どうやら電車から降りないうちにドアが閉まってしまったようでした。近くに座っていた親父の叫びで気がつきました。みんなが注目して、一人の青年がドアが閉まらないように押さえていました。イタリア人のこういう連帯意識は学ぶべきところですね。その後そのおばあさんと付き添いの人はゆっくりと降り、ホームのベンチに座っていました。電車が出発してから思ったのは、降りて僕にできる何かをするべきだったと思った。一緒にいるだけでもいい。動かなかった自分に後悔していた。

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2005年7月15日 (金)

新たな思考

ごくごく日常的な風景の中でたまにあること。それこそスーパーでの買い物の帰り際、出口の自動ドアが開かずに立ち往生していたとき。風景の中から浮き上がって見えるものに、当然のように目がいってしまうものである。僕も決して背が低い方ではないが、少なくとも僕の腰くらいまで股が切れ上がっている。そんな女性がスーパーをうろついていたわけである。普段はあまり気にしないことだが「やっばりミラノに住んでんのかな?」なんて思ったりもする。ま、こんな街だけど確かにいかにもモデルみたいなのに出会うこともなくはない。もちろん端から眺めて「きれいだなぁ」でおわるのだが。
 そんなのはどうでもいい話なのだが、ふと感じたことがある。どうしようもないことだし、先人から聞いていたことだが、記憶力が劣っていっている。これは事実であり、自分でも否定はできない。取り戻したくてもできない。
 それはもう受け入れてはいることなのだが「ハッ」と思わされたのは、脳の発想力の衰えである。なにかしらモノを創りだすわけだから、いろいろと考えていく中で、試行錯誤してフル回転はさせているものの、思考回路というものは年とともに固定化されていくもののようである。経験則とでもいうのであろうか?こういう流れで来たら、こうしたらいいという一連の流れが自分の中に出来上がっているのである。いままでになかった突拍子もないモノというのは出てこなくなってきている気がする。
 子供の頃は何もかもが新しかった。見るもの感じるもの、一つ一つが勉強で成功も失敗も悲しみも悔しさもいろいろとあった。いまではそのマイナスの感情ですら、うまく整理することのできる強さのようなものを携えている。それはいいことなのか悪いことなのか?
 いろんな国をまわって、いままで見たこともない新しい体験をしようとしているのは、ある意味、そういった刺激を求めているのであろう。
 店頭のディスプレイを見て、もっとよくできるんではないかと考えたとき、それ以上に発想が生まれてこなかった。いまの自分の限度がこれである。

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2005年7月 2日 (土)

心の温暖化推進派

 日本で買った岡本真夜のCDを聞いていた。
 どんな曲を聴いていても、たまに気になるのが脚本にも載せられるような歌詞を耳にしたとき。音楽を聴くときというのは大抵、何かしら物想いにふけっていることが多く、自分の世界に浸ってしまっている。頑張ってもとの音楽の世界に戻ろうと思っても、気がつけば自分に戻っている。小説を読んでいてもよく起きることだ。
「再会」というアルバムに入っていた「美しき人」という名の曲に歩みを止める。
 ミスチルの詩にもたまにある、情景描写をしているシーンに立ち止まるのは、自分のイメージで目一杯になっていた僕の心を、他人のイメージの世界にひととき連れて行ってもらえる。要約していえば僕が表現したいこととイコールのことが描かれているのだが、僕と異なる手法での描き方に、別の温かさが現れている。そこに新鮮さを感じ、自分の中に取り込もうとする。僕の表現は目の当たりにしている風景を切り取るのだが、大いに昇華させられるものである。
「アローン」かなんかの詩にあった。彼氏と電話で話をしたいが、最後の数字が押せない。葛藤のシーン。そんな当たり前の状況を描くだけで女性の共感を得ることができる。男にも理解できないことはないが、そんな表現を耳にするのは新鮮なものである。
 僕の部屋の近くにエッセルンガというスーパーがある。クソ暑いミラノにいたらジュースを何本も買いたくなる。それとピーマンと一緒に簡単につくれるペンネのパスタを買った。スーパーではあまりないが、たまに代金や釣り銭を間違われることがある。天然のときもあれば、わかっててやっていることもあるだろう。もちろんイタリア人はみな演技派である。このときのレジは忙しいからか珍しくおっさんがやっていて、決して愛想はよくないがテキパキとしていた。僕も大して買い物しているわけでもないので、金額は気にしていなかったが、異様に安い気がしたので店を出てからレシートを見た。するとパスタの分がカウントされていなかった。たまにはこんなこともいいだろう。と、イタリアの温かさを感じながら生きていることは幸せだと思える自分がいる。

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2005年3月20日 (日)

理想も現実

「道を歩いていて黒人のおじさんに「ありがとう」と手を握られることもあったんです」
 これはオノ・ヨーコ氏のインタビューのときのコメント。
 僕が見ている夢はホントにただの夢物語で叶うことのないものなのだろうか? もしそうだとしたら夢を追う事自体、意味がなく儚いものである。いま作っている映画「GLI ARTIGIANI」を制作する過程の中でも、道すがら人から声をかけられることもあるが,上のような形で握手を交わすことの出来る瞬間があるということは大切であり幸せなことである。
 ほんの少しでも夢を叶える可能性があるなら,それに賭けることは意味のあることだし,ほんの少しでも夢を支えてくれる人がいるのであれば,その人のために人生をまっとうしたい。世の中が異常をきたしていることも事実ならば,世の中に希望を持ち続けている人たちが存在することも事実。
 本質を見ない人が多いのが世界。でも本質を渇望している人が多いのも世界。本質をえぐり出そうとする人を待望している人々。
 現実は明るい。
 現実は強烈な想いが描き出すもの。

http://www3.plala.or.jp/smiles/cinecitta/rapporto.html#4

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2005年3月 2日 (水)

ホントの美を求める究極の理想の旅

 キューバの友達ラザロからメールがあった。いつもそうだがスペイン語で送られてくる。僕もスペイン語の辞書は持っているものの、イタリア語と同じで変化の種類が多くて,原型がわからなく調べきれない単語もある。
 自動翻訳にかけてみるものの,なんとなく理解はできても,はっきりとはわからない。イタリア人の友達に訳してもらうことにした。どうやら彼の父親が亡くなったらしく,具体的ないい方はしていなかったが,助けを求めていた。
 それがホントかどうかは別にして少し考えたが,わずかでも送金してあげることが僕に求められ、そして僕にいまできることだと判断した。ひとつ怖いのは検閲が入るのかどうか?
 キューバに行ってからもう一年経つが,この件があって益々キューバのカストロ体制の改革の必要性を感じさせられた気がした。ゲバラの行ったバティスタ政権崩壊をもう一度繰り返さなくてはならない。人々の貧困より何よりも,心の救済をして行くことを必要としている。僕が少しでも力になれたらいい。
 よくいわれることだが、彼らキューバ人はとても明るく,人懐っこい。ラザロは特に旅行者である僕を単に旅行者として見るのではなく、一人の友達として扱ってくれた。それが現地人とホントの意味で仲良くなれたことを実感できて、僕が彼に感謝したことだった。
 僕みたいなちっぽけな小市民ですら、彼らを助けることができるのであれば,できるだけのことはしたいと思う。映画で収益が上げられるのであれば,彼らの笑顔のためにそれらをすべて贈りたいし,僕が現地で生活して,映画など創らなくともいい。彼らのために僕にできることをしたいと切に願う。
 そう考えると寒いイタリア。日本から見れば後進国でも,どうやって収入を得ているのか?厚手のコートを身にまとう人々。どこから出てくるのか? 金にイヤシい人たち。
 日本でも金がない,金がないという人たち。キューバを美化するわけでもないが,彼らほどの精神的なたくましさがあるとは思えない人々は、ぬくぬくと生き,目の輝きを失わせている。ホントにギリギリの生き方をしている人とそうではない人。
 僕は彼らのために金を稼ごうと思う。自分はいい生活などしなくてもいい。心の輝きを大切に保つために生きることこそ価値のあることだ。

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2005年3月 1日 (火)

数年の旅を経た結果に得たストーリー

「いつ頃知り合ったんですか?」
 いったいいつ頃だろう?
 最近年のせいか物忘れが激しくなっている。

 まだ世界一周する前のことである。知り合いのバンドのライブの対バン。とても印象に残るステージだった。知り合いのバンドが何だったか忘れてしまうほど。
 その頃バイトしていたTBSの隣のカレー屋にお客として入ってきたのが,そのバンドのボーカル兼バイオリニストだった。その日からそのバンドのライブには結構な割合で通っていた。ファンになってしまった友達を同伴して。
 あれから何年経ったんだろう・・
 いま僕はミラノにいて映画を創っている。職人たちのストーリー。まさかここにつながってくるだなんて僕ですら予想していなかったストーリーだ。熱望していたシンクロニシティは突如として予告もなく訪れるものである。
 メインで取り上げていたクレモナのバイオリン職人マルコ・ノッリ。彼の工房で弟子として仕える鈴木さん。ミラノで再会して話の中に出てきたのはそのバンドネタ。何で知ってるも何も、鈴木さんとバイオリニストは知り合いだった!!
 そりゃバイオリン職人の弟子のところにいたらあり得る話ではあるけれども,音楽にうとい僕にとって、こんなちっぽけな人脈しかないのに、東京、ミラノ,クレモナと何万にももまれはびこっている中で、ここまでつながるだなんて、きっと何かがあるに違いないと思う。
 僕はこの二つの不思議な出会いに感謝し、偶然とはすませてはならないストーリーであることを証明するために、この映画を必ず完成させようとしている。
 うしろから見えない力が押してくれているのを感じる。

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その