イタリアンスマイルズ

  •  こちらのブログはイタリア在住の映像作家池田剛の撮影する映像とエッセイを掲載しているものです。製作中の映画「GLI ARTIGIANI」の映像を始め、イタリア各地の心温まる映像ビデオポッドキャスティングという形でお届けしています。

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2008年9月18日 (木)

les Français - Auschwitz 5

 あまり時間も人もいない中、とりあえず親子の声をかけてみた。やっぱり巡りあうのはヨーロッパの人。この景色をバックに撮っていると、二人の画が色濃く見えてくる。当たりもソフトなフランス人。それが当たり前のことであればいいのに。


2008年9月17日 (水)

Österreicherin - Auschwitz 4

 だんだん閑散としはじめ、日も落ちかけてきてきた。このくらいの方が場の雰囲気を味わうためには良かったような気もした。なにせ学園祭の展示コーナーの羅列かのような感じすらしたから。
 訪れる人は多く、韓国人も見かけたが大抵はヨーロッパからのようだった。そんな中の一人に声をかけてみた。


2008年9月16日 (火)

突きつけられた「生の壁」 - Auschwitz 3

 刑務所の横には「死の壁」と呼ばれる壁がある。収容者はその壁を背にして銃殺されていた。そこには来訪者からの花が手向けられていて、そしてこの日の空は青い。いろんな国の人がたくさんいるはずなのに、物静かな場所である。

 数年前に台湾に行ったときのこと、通りを歩いていて年配のオッサンが日本語で話しかけてくるのだ。歴史をよく知らなくても戦時中に日本語を習ったからということはすぐにわかるが、それを考えると日本人の心として普通に何とも言えない感覚に陥ったものだ。気が引けるような感じ。僕は別に彼らに何も悪いことをしたわけでもないし、彼らも戦争の話しなどなしで、なんでもない話をしてくるのだ。しかしあの時のあの感情は不思議なものだった。

 自国の戦争について考えることなど、いまの社会の中にいて、そういう機会はあまりないこと。しかし絶滅収容所に行ったことで、日本が過去に行ってきたことが自分の感情をも左右しているんだ、と考えさせられた。
 戦争なんて極論、自分には遠い話しでイメージできないこと。それをいまだに関わりのないはずの自分にまで影響を及ぼされる事はない。そう思っていた。
 靖国参拝の問題も、中国や韓国からいまだに戦争責任について問いつめられているのも、彼らの体制のせいだけではなく、日本人の自覚も足りなかった歴史。そんなメンタリティをいまだに引きずっているからではなかろうか? サムライの心を忘れたズルい社会のままでいいのか?

 惨殺が日常的に行われていた地に来て、その跡を目の当たりにしたことでようやくわかったこと。戦争や殺戮云々という話しでもなく、自分の他者への関わり方を問われているんだろう。人間の心など弱いし、想像力なんてたかが知れている。そんな生き物がどう生きればいいのか?


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2008年9月15日 (月)

収容者の遺品 - Auschwitz 2

 建物の内部はきれいに管理されていて、地図や写真、資料などがたくさん展示されていた。殺害された人々の灰が入れられた容器が置かれていたり、当時の宿泊部屋、トイレ、洗面所、収容者のクツや服、髪の毛、メガネ、食器などなど、子供のものまでの諸々があった。
 敷地内の刑務所の地下には、立ったまま入れられる牢屋もあり、入ろうと思えば入れたが、そこに入れられて亡くなった人の想いを感じ、その暗さも手伝って入ることはできなかった。牢屋の壁には収容者が殴り書きした跡もあった。読めるようなものではないが、リアルだった。この地下ではチクロンBというガスを使って、捕虜や病院の患者で集団虐殺の実験が行われたという。

 収容者の虐待は日常で、ナチスの強制収容所では人体実験が行われていた。そして同じ枢軸国の日本軍でも中国にて731部隊による人体実験が行われていた。戦争裁判ではそれぞれの裁かれ方には対比が見られた。ナチスの人体実験が裁かれる一方、日本軍は人体実験のデータをアメリカに提供することで東京裁判でも裁かれるのを免れた。それはアメリカも行っていた人体実験の参考にもなったからだろう。ニュルンベルク裁判も連合国による一方的な問題のある裁判だが、その裁かれ方の対比がその後の歴史を作り出していると思える。

 連合国は敗戦国を一方的に裁くことで、敗戦国が戦争で犯してきた罪をそのまま彼らに行っている。要するに同じ制裁をくわえているということ。それは原爆投下にも言えるだろう。戦勝国というのも、その戦争をしていることの本意ということから外れてはならない。
 ナチスは罪の大きさに対して大々的に裁かれ、それはヨーロッパ諸国にも大きく影響を与えている。ドイツが人権社会として復興して変わっていったのには、この背景が及ぼしている。
 対して日本も東京裁判で裁かれはしたが、731部隊の件を隠蔽することができたのは、その後の日本の社会の体質を象徴していやしないだろうか? いまだに死刑が執行されているのもシステムの問題もあるものの、無くならない背景には裁ききられなかった影が落ちているのでは?


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2008年9月14日 (日)

アウシュビッツ - Auschwitz 1

 やはりこちらのアウシュビッツは人で溢れていた。先に行ったビルケナウは閑散としていてよかった。ここの施設はポーランドの兵営だったというのもあり、博物館化されていてきれいだった。ビルケナウから来たら当時のリアルさはまったくなかった。そういう意味では先に来た方が心理面ではよかったのかもしれない。

 グルジアやコソボにも象徴されるような領土問題にしても、中国国内のことが明るみになっているのもあるし、イタリアでも日本でも権力を握っている人の意向一つで自分の生活が変わるのは事実。それはよく考えても見れば恐ろしい話しで、逆に言えば自分が独裁的になる可能性もゼロではないということ。被害を被ってしまうのはいつでも一般の民衆であって、その民衆も力を合わせて立ち上がることもできるが、大抵は民意が反映されているものではない。

 ナチスが行ったホロコーストはその究極を実行してしまったもので、広範囲に及んで大々的に被害が出てしまった。それが恐ろしいほどによく見える博物館であった。ここにあるドクロマークもタイムボカンのものではなくリアルなものである。むしろタイムボカンから知った僕としては、あれがパロディだと思うとそんなことおぞましくなる。あれを真の恐怖に感じおののいていた人々がいたのだから。


Auschwitz-Birkenau State Museum, Poland

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2008年9月12日 (金)

ユダヤ人 - Birkenau 4

 昼もとうに過ぎ、ようやくビルケナウの全体を見渡すことができ、死の門のある入り口に戻ってきた。そろそろ第一収容所に行かなくては時間が足りなくなってしまう。

 前からそうだけれども、ユダヤ人というとどうも距離を置いてしまう自分がいる。目の前の人がユダヤ人かどうかなんてすぐにわかるものではない。とはいえ帽子にヒゲ、もみあげの人は近寄りがたいし、崇高な感じもしてしまう。それはやはりキリストを迫害していた時代のユダヤ人像が僕の中にあるからだろうか。気高く伝統を重んじ、規律に厳しいようなイメージ。
 その反面、自分たちの国を失い、ナチスに迫害されていたことを思えば、そこから生まれる他者を敬う気持ちはキリスト人よりも大きいのではないか? と考えたり。それとはまた別に、ナチスのやってきたこととパレスチナでのことと、どれだけの違いがあるのか?

 そんなことを考えていると入り口前に団体がいた。なんと彼らはデカデカとしたイスラエル旗を持っているではないか! いままでどことなく躊躇しがちだったユダヤ人がここにいたら、思い切っていくしかない。
 カメラを向けると友好的な彼ら。そしておだてると少しハニカミながらも笑顔で写真を撮らせてくれる。場所が何かを物語るようだが、人として何も変わらず普遍的だと教えてくれたようだ。人の本質や求めるものは大して差がないということ。僕の旅はそれを確認するためのものだということを改めて想った。



2008年9月11日 (木)

バラック - Birkenau 3

 晴れ上がった空と時おり花も顔を見せる草原。その向こう側に見えるのが急増した収容者たちのための宿泊施設のバラック小屋だ。内部は既存の様々な映像で映し出されているそのままである。多少の緊張はあったとはいえ、僕はそこで思いがけない体験をする。こういうケースでは試しに下見をしてから撮るのでなく、そのまま自分の気持ちを反映させるためにもカメラを回したまま入ってみるものだろう。と、初めて入るのにも関わらず、カメラを回したまま誰もいないバラックへ。
 なるべく音を立てず静かな空気を収めたかった。パンをしながら内部を撮り続けるが、とてつもないものが僕の肩を叩く。初めて入った時だったのもあるのか、孤独な中にいてたくさんの人の想いが集まってきているようで、胸がつまった。こういう場では極めてクールに決められるはずの僕も、さすがにここではこれ以上カメラが回せなかった。汗だくだった。

 夏場だっただけに冬場の寒さの中で収容者がいかに厳しい中で過ごしてきたかの一端を感じることはできなかった。しかし最低な作りの中に多くの人が押し込められていた事実はイメージできる。ここで寝泊まりしていた人たちの想いをイメージしてみる。どれだけの未来を想像していたのだろう。
 たとえばチェ・ゲバラや塩狩峠の長野さんなどは不幸な亡くなり方とはいえ、本人としては意志のある死であろう。カミカゼの戦死者にしても意は汲まれていただろう。しかしここにいた人は意味のない不安の先に見える終わりである。
 もちろん人によって捉え方は異なっていただろうが、おそらくそのほとんどが閉塞感で行き詰まっていたはず。いろんな作品に触れていく中でも僕自身が感じるのだから、彼らの想いは。。


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2008年9月10日 (水)

破壊されたガス室 - Birkenau 2

 鉄道引き込み線の先には収容された人々それぞれの国の言葉で刻まれた碑がある。そしてそのすぐ横には敗戦後ドイツ軍が証拠隠滅のために破壊したとされるガス室跡がある。僕はいつもこの「証拠隠滅のため」という記述を読むたびに疑問を感じる。そしてそれに対する明解な記述は読んだことはない。
 敗戦後に破壊したというのであれば、独裁者の指示にせよ、そうでなくとも、いずれにせよ自らの行った行為に対して隠匿の内に虐殺を繰り返していたというのか? そんなはずはない。ヨーロッパの多くの地域から人々は運び込まれていたわけだし、そこから逃れようとしていた人も多くいた。ということは誰もが知りうることである。ならば戦争云々、勝敗ではなく、虐殺していたことは悪であるという認識は彼らにはあったはずだ。でなければの「証拠隠滅」などという悪あがきなどするまい。
 遺体焼却に携わった収容者も定期的に虐殺していたということを考えてみても、最後のこの悪あがきも彼らの計画性であることに他ならない。しかし最後の最後での「証拠隠滅」などしたことが不思議でならない。大量殺人の責任は明確なのだから、裁判で裁かれるなどという以前にガス室を消す意味はどれだあるのだろう。後につけられた名前だろうが絶滅収容所と呼ばれるところでは、目的は一つしかない。僕には彼らの意図がよくわからない。

 ガス室の他にも、入所したばかりの人の荷物置き場、純然たるシャワー室、また遺体を野焼きした場所、その灰を捨てたとされる池もある。その各場所ごとに当時の写真がパネルで展示されてあり、凄まじい阿鼻叫喚が広がっていたことを知らされる。それはこの場で行われ、そして僕はその場所に立っている。人は閑散としているが、ここには地球上にも類を見ないほどの数多くの想いが遺っている。


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2008年9月 9日 (火)

第二強制収容所ビルケナウ - Birkenau 1

 アウシュビッツといえば3つ収容所が存在した。いわゆる第一収容所、第二のビルケナウ、そしていまは見られない第三のモノビッツ。やはり最初に目指すは第一収容所。だったはずが普通の人のお決まりのルート通りではなく列車で来たせいで、間違えて第二のビルケナウに来てしまった。まぁこれも運命だということで、そのままビルケナウを見学していくことにした。

 まずやはり目に入ってくるのは、あの鉄道の引き込み線。人々の意思などいっさい無視した体制。それは戦争下だからというものではなく、人々の深層の奥底に潜んでいる、自分と他人を隔てる溝を大きくしようとしている意識が顕在化したもの。自分は美徳であり、それ以外は自分を脅かすもの。それはお互いの中に存在していただろう。しかし強いもののほうが支配していた。それは現代になってなくなったわけではなく、生きている限りつきまとうものである。この歴史が呼びかけているようでもある。


Auschwitz-Birkenau State Museum, Poland


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