イタリアンスマイルズ

  •  こちらのブログはイタリア在住の映像作家池田剛の撮影する映像とエッセイを掲載しているものです。製作中の映画「GLI ARTIGIANI」の映像を始め、イタリア各地の心温まる映像ビデオポッドキャスティングという形でお届けしています。

    メール希望の方はこちらまで

    about.me

フォト

イケピー作品掲載

  • クレモナのお店のショーウィンドウを撮影
  • 石井高さんのポートレート撮影

他のアカウント

カテゴリー

ブログパーツ

  • ikepをフォローしましょう
無料ブログはココログ

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月31日 (土)

ヨーロッパ - Istanbul 3.2.8

 再びヨーロッパに戻ってきた。この旅最後の夜になるこの日の晩。仕上げはどうしようかと考えつつ宿に戻っていた。すると帰り道、地下道で目立つ人形のダンス。これぞ名物のベリーダンス。「おおお、これだ!」と単純に決めた。
 ならばどうしよう。どうすれば見られるのか? いろいろ調べていると、ほとんど観光客向けのイベントチック。ローカルな感じの気軽に安く飲みながら見られるようなところは皆無だった。もちろん比較的安価で送迎もあるのもあるにはあったが、もっと気軽に手軽にをモットーとしていたので、避けざるを得なかったのかもしれない。


2007年3月30日 (金)

BORSAM - Istanbul 3.2.7

 アジアサイドにせっかく来たので、ここで腹ごしらえをしておこうと食探し。といっても昼なので軽くすませようとしていたが、意外に値段もそこそこにしっかりとした食べ物を提供する店が多い中、歌舞伎町のように呼び込みをしてる兄ちゃんに声をかけられた店に、そぞろ入っていく。
 店に入ると恐ろしいくらい若い兄ちゃんばかりで切り盛りしていた。渋谷のスタンドコーヒーショップのようだったが当然のように女子店員がいない。注文を取りにきた兄ちゃんは愛想がよく、ガラガラのテーブルに座って興味深げに話しかけてくる。少し日本語を交えてきたものの、何を言ったのか理解できなかったり。そんな凸凹コミュニケーションも愉快痛快。
 ここはピデの店。頼んだのはバルカンチーズ・ソーセージ・タマゴのピデ。「ウマかった!」と言い切るのはむずかしいが、マズいわけではない。それよりも店の雰囲気を作っている店員に魅了されていたのかもしれない。
 地下にあるトイレに行くと、食材の倉庫が近くにあり、中をのぞき込むと管理している兄ちゃん。微笑みかけて写真を撮らせてくれた。気をよくした僕はそのまま店の入り口近く、レジの横のピデ工房をお邪魔した。まったく邪魔する事になく撮らせてくれる。なんと居心地をよくしてくれる人々なのだろうか。気持ちよくチップを置いていける。というかそんなことより、一見の人間に対して手厚くしてくれる事。彼らは興味半分かもしれないけれど、これって大切な事ではなかろうか? こういう簡単なようで難しいこと。日本人はあまりできていない気がするぞ。

 というわけで今回の採点は、
 ウェイター 100
 ピデ作り兄 100
 ピデ 70
 総合 270点!

●Kaşarlı - Sucuklu - Yumurtalı Pide - 6.00YTL
 (Turkish Pizza Balkan cheese - sausage - egg)
●Ayran - 0.90YTL


BORSAM
ÇARŞI SUBE
Güneslibahçe Sokak No.3
Kadıköy
0216.307.05.04

2007年3月29日 (木)

アジアサイド - Istanbul 3.2.6

 アジアに戻ってきた。港近辺には人がたくさんいる。ここも都会の様相を呈している。そんな中にも必ずスピーカーから響き渡ってくるのが、詩吟のような叫び。コーランである。
 どこもかしこも人だらけ。歩みをどんどん進めていくと、商店街に出てきた。マーケットのようで、八百屋、魚屋、肉屋、チーズ屋、パン屋、とにかくいろいろあった。そして混雑している。なんとなく池袋の西口を思い起こすような作り。ファーストフードの店もあるかと思えば、その横にはアヒルがいる。しかもみすぼらしくて黒く汚れている。飼いアヒルであるまい。一匹どこからか迷い込んできたのか? 人々は好奇の目で通り過ぎていく。何とも寂しい姿が痛みを増す。



2007年3月28日 (水)

大陸越え - Istanbul 3.2.5

 おいしいサバサンドも食って体調も万全で、対岸から船に乗ってヨーロッパを脱出することにした。イスタンブールはヨーロッパとアジアをまたぐ両端のある街。船で数分でヨーロッパからアジアに行けるのだ。
 船・・といえばいつも思い浮かぶのがクルーズ船。船に寝泊まりしていた事のある僕は、その船独特の匂いに触れると何となく懐かしさを覚える。波の音と共に聞こえるのがエンジン音。風。
 短い航海の中で大海原の自然の記憶を呼び起こし、故郷へと戻っていた。


2007年3月27日 (火)

釣り人 - Istanbul 3.2.4

 ガラタ橋の方へ向かうとサバサンドを売る人がたくさんいる。いわゆるサバをはさんだだけのパニーノだが、このおいしさを忘れられず、サバに再会することにした。サバとレタス・タマネギ・トマトに塩とレモンをパンにはさんで、はいこれうまい。ガラタ橋の下は割高なレストランが建ち並び、その上には昼夜を問わず釣り人が群れている。橋の両サイドを両岸までに渡ってたくさんの人が釣っている。橋の下からはその釣り糸が手に届いたりしている。釣り人のバケツをのぞき込むと、そこそこに釣れている人はいるが、雑魚みたいなもんで決してうらやましく思えるものでもない。もちろんサバなど見ない。しかしここまで人が釣りに励んでいるのは何故なんだろうか?



2007年3月26日 (月)

イェニジャーミィ - Istanbul 3.2.3

 イェニジャーミィは新しいという意味のモスクで、海沿いガラタ橋の横に立つ。人々はモスク横の洗い場で足を洗ってから中に入る。例の通りお祈りの時間帯をはずして中に入る。ここは観光客があまり来ないようで人がほとんどいない。静かな中で心を落ち着ける。
 外へ出ると鳩が群れをなしている。いわゆる中心地の広場のようなところで、すぐ隣りにはバザールやマーケットがあり活気づいている。通りすがる人には声をかけられる。混沌と人々が交差してつかみどころのない光景を目の当たりにした。中と外の人々の温度差が激しく、僕の中で結露現象が起きる。
 混沌と静寂。その相対するものの中で生き延びていくのが人間である。





2007年3月25日 (日)

ブルーモスク - Istanbul 3.2.2

 イスタンブールといえばブルーモスク、と言われるくらいのイスラム教の巨大寺院。モスクには今回の旅で初めて入ることができ、そして何度か訪れていた。中心地にある大きなモスクだけに、中に入れる時間が制限されている。信徒たちが祈りを捧げるスペースは足を踏み入れられず、それでも祈りに来ていた信徒もいた。
 祈りとは「神との対話」などと一般的には言われているが、僕にとっては自己確認のような、自分自身を律したり自己洗脳のような感じに捉えている。だから彼ら信徒が神への祈りを捧げる心境というのは、それがイスラムであろうとキリストであろうと、僕には理解するのがとても難しいもの。いやそれは理解するのではなく感じるものだ。とも言われるだろう。
 いずれにしても僕が感心するのは、そこまで自分の心を捧げられるということ。滅私である。そして神の教えに忠実に生きているであろうことが、この旅を通してつくづく実感させられながらここまで来た。それは日本人にも先祖代々から伝統的に伝えられている、顕在意識にはのぼってこない心の奥底に潜んでいるサムライ魂にも共通するものがある。だからトルコ人は親日感情も芽生えるのかもしれない。トルコ人は総じて温かい


2007年3月24日 (土)

simit kösku 1 - Istanbul 3.2.1

 何度となく来ているこの街だが、泊まるのは今回が初めて。朝は外でチャイと名物のゴマ付きパンをとることにした。このパンはいたるところで販売されているが、まだ食べていなかった。何種類かある中、チョコ付きのパンにすると、これのなんとうまいことか。トルコは何を食ってもウマい。
 晴れない天気で外を見ると憂鬱にもなりそうだった。それでもここは子供の頃に歌で聞いた街イスタンブール。こんな街に来る事になるだなんて、イタリアに来てからも予想していなかった。そんな夢の中でしか思い描かなかった街。充分満喫すべくおいしい朝食に感謝して気持ちを清々しさでいっぱいにすることにした。



2007年3月23日 (金)

メトロ - Istanbul 3.1

 強烈な印象の残った街の後、疲労もそのままに3度目のイスタンブールへ乗り込む。もう夜遅くの到着で、疲れモードの中、宿へと急ぐ。夜中の道端で売られているバターライスも食べてみたくなり買い込む。きれいな地下鉄を見ても、通りを走るトラムを見ても、ホントにイタリアの方が先進国なのだろうか? いや、絶対にタダのイメージにすぎない。そんなくだらないことを考えながら残り少ない旅を楽しむために、ひとときの休みを取る。


2007年3月22日 (木)

オトガルのヒーロー - Safuranbolu 12

 旧市街からタクシーでオトガルに向かう。オトガルでは真っ先にチェマルのいるタバッキに行き、街を満喫できた事とお礼を言う。と、そこに邪魔者登場。ちっさいオッサンが「写真を撮ってくれ!!」とせがんでくる。僕はとにかくチェマルと話さなくてはいけないと思い、オッサンを邪見にした。
 するとまわりでみんな笑っている。オッサンはちっこくて、まるで首からつまみ上げられてバタバタしているかのように必死にせがんでくる。このオッサンは数少ない観光客が来る度に写真をせがんでいるらしい。オッサンは靴磨き屋で、仕事現場の後ろの壁に、撮った記念写真を貼ってコレクションにしている、とチェマルが説明してくれた。二組くらいしかない写真のコレクションを見たが、とりあえず撮ってみることにした。
 僕はとにかくいろいろと撮っていた。その度にまわりのオッサンどもが彼をからかう。オッサンは撮って欲しがるくせに恥ずかしがり屋。言葉数も少ないが特徴のある笑い方が面白い。このオッサンにもインタビューしてみたらいいもん撮れるんではないかと、だんだんエスカレートしていく。バス会社のオッサンがちっこいのをいいことに体を持ち上げ、ホントに足をばたつかせる。そしてプリプリ怒っているが、その仕草がマンガのようでまた笑える。何やらせても笑える。吉本で食べていけるんでないの?
 チェマルはバスケの選手のようにでかく、オッサンは小人のような小ささ。そしてその間の大きさの僕。この三人のやりとりの映像を添付してありますが、オッサンの答えがまた笑え、オッサンが小さい理由がわかります。質問は「人生で大切なものは?」です。
 オッサンはオトガルの公衆トイレの管理もしている。一般の人からはチップを取っているので僕も出発前に行こうとお金を出すと、黙ったまま手を振って「行け」という仕草。すでにかなり打ち解けていた。出発をバスの中で待っていると名残惜しいようで、外で立ってずっと待って眺めている。ホントに無邪気な子供のようで、なついてしまったようだった。僕はバスを降りて日本語で促した。「おいでおいで、一緒にイスタンブールに行こう!!」すると外野がヤジを入れる。それに乗せられオッサン、ホントにバスに乗り込んできてシートに座った。これはお互い冗談とはわかっているものの、ここでダメオシをしてくれた事で最高の印象を残してくれた事は間違いない。
 みんなから愛され、笑いをふりまくオッサン。オトガルのスター。ありがとう。僕もこんな人になりたい。僕の憧れでもある。




2007年3月21日 (水)

日常の風景 - Safuranbolu 11

 満足感タップリで宿まで荷物を取りに戻る。そのわずかな道のりの間にも独特の雰囲気を醸し出している建物、雑貨店、床屋、ネコ、そして人。
 トマトを買ってきてくれた青年とも通りすがる。商店のオッサンも気軽に声をかけてくる。「ラストサムライ」にもみることのできた日本の原風景を見たような気もする。これが当たり前であれば何とも思わないのだろうが、日常があまりにもかけ離れたところにいるものだから、何故か懐かしさを覚えるのはそれは異常であるからだ。そう、僕は非日常の中で日常生活を送っている。




2007年3月20日 (火)

SOFRASI - Safuranbolu 10

 山を下りると昼下がり。サフランボルを発つ前にガツッと一発決めてから帰途へ。山を下り終わってすぐのお店に入る。
 ガラガラの店内。物静かなオバちゃんが一人。ストーブ近くの温かい席に案内してくれる。名物料理・・はなんとサフランの入ったピラフがあった! そしてサフランボルの名の入った肉料理!! イスケンデルはアレキサンダーのこと。肉とトマトにヨーグルト。そしてパンを一緒に食べれば最高。
 実はオバちゃん、ホントに一人で切り盛りしているようで、注文してからすべてを一から作りはじめていた。なんとナンまでキッチリとこねて作っていたのだ。料理の最中、息子なのか? 店に入ってきた子供に小銭を持たせて「これで昼ご飯食べなさい」みたいな風景を見た。するとそれはまったく違っていて、店近くを通り過ぎた男の子をオバちゃんが呼びつけ、僕の注文したメニューのためのトマトを近くの八百屋に買いに行かせていたのだ。「オオー!!」それに気づいた僕は「ありがとう」彼はヘラヘラと笑っていたが、かなり感動したぞ。これぞホントの地元の家庭料理。これだけ少ない注文に対して出てくるまでの時間約30分。文句など言えるもんかっ!!
 あまりのウマさに食べる事に集中していると、いつのまにかオバちゃんのダンナとホントの息子がいた。家族団らん、いいねぇ。愛らしい家の置物と、そして何より口数少ないオバちゃんの真心の料理、人の優しさにやられた。嬉しかったぞ。SOFRASI!!


 というわけで今回の採点は、
 オバちゃんのホントの手作り 100
 お使い青年 100
 オヤジと息子 100
 家の置物 100
 総合 400点!

●Safranli Pilav (rice with safran) - 3.00YTL
●Safranbolu iskender - 4.00YTL
●Menemen (Stir-fried omelete with tomatoes and peppers) - 3.50YTL
●Çay - 1.00YTL
●Ayran - 1.00YTL



SAFRANBOLU SOFRASI
0 370 712 14 51
0 535 458 92 60
BABASULTAN MAH.HIDIRLIK YOKUŞU
NO.28/A SAFRANBOLU

2007年3月19日 (月)

サフランティー - Safuranbolu 9

 職人街をすぎ山を登りながら散策をする。家の外でデッキブラシのようなものを使って豪快にカーペットを洗うオバさん。「もっと上に行きなさい」と促されて近づいていくと、オバさんではなく僕なんかより若い娘だった。
 どこからともなく現れたネコが先導するかのように先を急ぐ。つられていくとそこは晴れない空が広がっている展望台だった。山頂を公園にしたようなところで、静けさが新鮮さを運んできて清々しさを感じる。感謝にとネコをなでようとすると引っ掻かれる。しかも指を噛まれ血が噴出する。恐るべしネコ。
 風景を楽しんでいると男子がやってくる。公園の管理人25才。まさか入場料など取られるとは思ってもみなかったが、きれいな公園だからそんなもんか。入場券にはワンドリンクサービスがついていた。喫茶店のようなところでサフランボル名物サフランティーをもらう。寒い中にはとてもありがたいサービス。そして電源も見つけ、心も体も機械も充電タイム。
 外に出ると一面パノラマのサフランボル。そしてその片隅にはネコ。懲りずにそっと近づく僕は今度こそ仲良くなれた。ここはそんなホッとする瞬間に出会える街。




2007年3月18日 (日)

マッサージ職人? - Safuranbolu 8

 そしてラストの職人? 日本人をみつけていきり立つオッサンが一人、ものすごく友好的に僕を呼び寄せる。鉄カブトのようなものがぶら下がっている店先。しきりに奥へ入れと言われ、なすがままに入っていくと、オッサンの憩いの場のようなところに座らされる。各国から訪れる観光客との写真や、書き込み帳。もちろん日本語もあり、書き込んでいる内容は似たものばかり。このときの僕の状態そのものだ。
 そしてオッサン何を想ったか「僕はマッサージが得意」とばかりに、僕を寝かしつけマッサージを始める。そんなに気持ちのいいものではなかったが、得意になってるオッサン、嬉しそう。東京で声かけられてビルの一室に連れ込まれるのとはワケが違う、ホントに純粋に人と遊びたい。そんな無邪気なオッサン。連絡先の交換をするわけでもなく、手紙や写真、ましてやお金を要求するでもない、ほのぼのとしたものがある田舎町だ。



2007年3月17日 (土)

鍛冶職人 - Safuranbolu 7

 人の呼ぶ声がする方へ向かうと、激しく燃える炎に目を奪われる。寒い気候の中、熱い工房で黙々と仕事に励む二人組。昔のコントに出てきそうな、もしくはマリオとルイージのような、そんな息のあったコンビネーションに魅了される。



2007年3月16日 (金)

パン職人 - Safuranbolu 6

 そのすぐ横を見ると店のような建物から突き出した板。近寄ってみると奥にはかまどがある。ここは焼きたてのパンを販売する店だった。しかしこの長い板は何に使うのだろう? 作ったパンを板に乗せてかまどの奥まで入れて焼く。かまどの中をうまいこと管理するパン焼き職人。焼き上がったパンはこんがりいい香りとともにボンボンと出てくる。焼きたてのパンをかじらせてもらったが、飛び上がるようなウマさに感激!!!



2007年3月15日 (木)

鉄鋼職人 - Safuranbolu 5

 ガラクタがぶら下がっている工房。一見ホームレスのたまり場のような気がしないでもないが、中へ入ればホントにガラクタばかりのよう。しかしれっきとした仕事用のパーツ。何を作っているのか聞いてみたが、ストーブのような、何なのか、よくわからないが、とにかく大型のものを作っていた。愛想良く明るい男は、求めてもいないのに名刺を差し出してきた。愉快なオッサン。



ERSİN TİCARET
Çeşme Mah. Kasaplariçi Sok. No:2
0370.712.82.46

2007年3月14日 (水)

家職人 - Safranbolu 4

 旧市街は観光地化されているわけでもなく、ホントに職人さんの工房が続々と軒を連ねている。土産物を売っていそうな店でも、その場でそのお土産を作っている。上部の突き出した特徴的な家が名物のサフランボルの家を製作しているオッサンの店。言葉数は少ないものの、チャイをごちそうしようとしてくれた。優しい気遣いを感じられる街である。


2007年3月13日 (火)

クツ職人 - Safranbolu 3

 歩いていると店頭にクツが無数にぶら下がっているクツ屋を発見。オッサンは昔ながらの頑固職人のようで、とがった口調で話しかけてくる。それでも撮影する事には何のお咎めもなく、僕は横に座っていたオッサンと共に仕事を観察していた。



2007年3月12日 (月)

人の息づく街 - Safuranbolu 2

 ここサフランボルを訪れたのはもちろん世界遺産に指定された街であるからというのもある。街を歩けば変形した木造の民家がいたるところに見られる。それが時を経て味わいのある感じが醸し出されている。静かな街の風景や人を眺めて歩くだけでも、洗われるような気がする。
 建物の間から差し込む光。まばらな人影が隙間を埋める。そこにあるのは人が手をかけ生み出していくもの。汗と呼吸が途絶える事なく耳に入ってくる。確かに人がいる事が伝わる。ここは職人たちの住み着く街。僕を引き寄せた街に、来るべくして訪れた。






2007年3月11日 (日)

carsi pansiyon - Safuranbolu 1

 サフランボルへの到着予定が22:00をまわるので、さすがに宿もヤバいだろうという事で、ガイドブックに載っている日本人に友好的な宿に電話を入れることにした。しかしまったく通じない。英語も日本語もダメ。
 サフランボルに着く。ガランとしたオトガル。時間的にも当然なのだろう。インフォメーションで地図を見せたり、身振り手振りでもまったく通じない。困ったその受付のオッサン。後方で雑用をしているタバッキの兄ちゃんチェマルに声をかけると、しゃくれ声ながら英語を話す。「おおおおおーーー」日本の高崎にも行ったことがあるという彼はこの街では珍しい国際派。
 地図を見せて宿までの距離を聞くと、タクシーでないと厳しいという。とにかく宿と連絡を取ろうと、彼にコンタクトを取ってもらうことにした。するとOKの返事。しかも数分で迎えが来てくれるという。なんとも助かる!!!
 待ち時間に比較検討した上で翌日のイスタンブール行きのチケットを取るが、30分たっても迎えが来ない。地方のオトガルでは日本人が待っていると、いろんな人がチャチャ入れにくる。チェマルにお願いしてもう一度電話してもらう。受話器の向こうではイタリアのような会話がなされていた。運転手に伝え忘れていた、と。おいおい、すぐ手配してくれよ。
 それから20分。ようやくやってきた片言の日本語を話す自称"お父さん" 宿のオーナーだろう。愛想良くいろいろ話しかけてくる。ガイドブックによるとこのオッサン、機嫌がいいときは夕食をふるまってくれるという。小腹がすいていた僕はしょうもない小さな期待を胸にしていたが、当然夢破れる。10おセンチメートル。部屋のカギもくれなかったので、カギをかけずに寝る。翌朝には当然の朝食が"お父さん"からふるまわれた。



2007年3月10日 (土)

クリキン - Bogazkale 9

 と、そんなこんなでボロバスに乗ったわけが、実はこれアンカラ行きのバスではなく、アンカラ行きのバスの待っている場所まで乗せていってもらえるミニバスだった!! それを手配してくれただけだった。そして乗り換えたバスはな、なんと!! 地獄から天国。最高にきれいで紳士なスチュワード。そしてブルース・ウィリスも出ているアメリカ映画の上映。一歩先は何があるかわかりゃしない

 アンカラでは一応首都なので、一泊してちょっと見て回ってみるのも悪くはないか、と考えあぐねていた。アンカラのオトガルの着くと、なんと見た事もない巨大さ。ここ数日間の旅ですっかり田舎もんと化した僕は、押しつぶされてしまいそうな圧迫感に苛まれた。と同時に素直にサフランボル行きを即決できた。
 広すぎてどこに行けば目的のバスのチケットが手に入るかわからない。キョロキョロしていても誰も声をかけてこない。やっとの思いで見つけた受付で料金体系を聞けばそれで終わり。ユーロで支払いできるか聞くとそれはOK。サフランボルの宿に電話したいから使わせてくれ、と言えばいままでなら言わなくても進んでやってくれたのにここでは即NO。都会の空気はこんなに冷たいものなのかと、都会育ちの僕が言うのも変だけど、初めてそんなことを感じた。これは20おセンチメートル
 それでも救いは乗ったバスのアシスタント。ちょっと愛嬌のある若手の兄ちゃんは、日本人向けのパフォーマンスをしてくれた。


2007年3月 9日 (金)

ジタバタ - Bogazkale 8

 次なる目的地はサフランボル。まずはサングルルという街のオトガルを目指して乗り合いバスを探す。が、何がわからないって何もわからない。英語が通じる人すらいないので、とにかく意志を伝えることが先決。みんな腕時計の「5」を指差すが、25分にバスが来るものと思っていた。しかし不安なので、いろいろと聞いてまわっていると17:00の最終まで運行しないということだった。なんとも不便。いやしかし当然だろう。
 あと3時間も待っていられない。どうすべきか考えあぐねていると、さまよう異邦人に商売魂の火をつけさせたのか? 安くで運転してやるというオッサン登場。ミニバスで20YTL。とにかく乗ることにした。いいヤツなのかなんなのか、ラテン系のノリの明るいオッサン。途中でタクシーの車両に乗り換えさせられ、しかも一人乗り合いで乗ってきた。それでも料金は同じ。しかし同乗の男は1YTL。
 サングルルのオトガルまでという話なのに、途中経由の首都アンカラに行くというと、街中のアンカラ行きのバス会社で落とされる。そのバス会社に聞くと、アンカラ行きは18:00までないという。「そんなん待ってられっか〜!!」とにかく英語だか日本語だかイタリア語だかわかんないけどまくしたて騒ぎ立て罵声を浴びせて、事の緊急性を伝える。
 乗せてくれたオッサンにオトガルまで連れて行けというものの、首を縦に振らず別料金と言いつつ怒って去ってしまう。珍しいガイジンに興味津々の高校生がたむろしてきて、茶化す。それを逆手に更に騒ぎ立てる。「オトガルまでどうやっていくんだ!!」大体の場所は知っているんだろうが、彼らの言う通りに動くとドツボにハマりそうでやすやすと動けない。
 そんなこんなしているうちにバス会社のオペレーターがオトガルまで連絡を入れたらしく、すぐあとの15:00に出発するアンカラ行きを手配したと、突如態度変更修正してきた。「イタリアでもこのくらい簡単に態度が変わればいいのに」なんて思いつつも、とりあえず目的遂行。ざまあみろ。
 いままで乗り継いできた都市間移動の長距離バス。最初が最高で乗る度にレベルが下がっていき、乗るだけで疲れていた。これ以上下がることはないと思っていた矢先、最悪なバスに乗り合わせる事に・・。いまにも壊れそうなケツの痛くなるミニバス。車内サービスもなさそう。せっかくの成功からこんなオチになるとは・・・。これは30おセンチメートルでした。


2007年3月 8日 (木)

街の静けさ - Bogazkale 7

 風の音色、ウシの鳴き声、自分の足音。そのくらいしか耳にしない空間。その余韻がタップリと残る中、壮大な平原を後に闊歩しながら街へ戻る。ひび割れた建物にはすき間があり、大自然の横で自然そのままに形を変えていく人工物。退廃的なようであって人の息づかいが紛れもなく垣間見られるのは、人々の笑顔を目にすることができるから。呼吸は絶え間なく続いている。



2007年3月 7日 (水)

牛使い - Bogazkale 6

 ボアズカレではウマやウシが放牧されていた。そして横には石に座って笑顔をふりまくおじさん。愛想良く話をする彼は人なつこく、とても年配には見えない明るさだった。




2007年3月 6日 (火)

ボアズカレ - Bogazkale 5

 おおお。すごい、すごい、すばらしい。天と地しか見えないパノラマの視界。人工的な建物の間からしか見えない一筋の空などとは異なる、ホンモノの空。そして眼下に広がる山。牛。わずかながらの葉。そして落とし物。伝わるものがみじんでもあればいいが、なかなか伝わらないであろう、このホンモノの感動。これは行って経験するしかないです。


2007年3月 5日 (月)

ポニー - Bogazkale 4

 ケバブをほおばり、街の中へ戻ろうとするとそこにはなんと・・ずんぐりむっくりのおじさんがちっさなポニーに乗っている。苦しそうなポニー。いやいや、そんなことより羊やポニーが普通に街中を闊歩していることに奇妙な感覚を覚えた。しかしこれが当たり前の世界。そんな自然を前にしたボアズカレ。一体どんな現実がこのあと待っているんだろうか?



2007年3月 4日 (日)

チキンケバブ - Bogazkale 3

 すでに昼。この先は何もないとして、とりあえずは腹ごしらえ。まったく選択肢がない中、当然のチキンケバブを口にした。「帰りの足はあるのか?」ここのオッサンが「送ってやるぞ」と安値で交渉してくる。商売ではなくまったくプライベードで車を出してくれるのか? とりあえず値段だけ聞いて先に行く。ここのケバブが何と安くうまいこと。やはり本場ならどこのでも美味しいのか? イタリアのはどこのでもマズいけど。

2007年3月 3日 (土)

羊と魚市場 - Bogazkale 2

 ボアズカレの街に着く。街と言ってもいわゆるほとんど街の形態ではない。見渡せば男しか目に入ってこない。何がどこにあってどう機能しているのかさえわからない混沌とした状態。とこかく英語を喋りながら近づいてきたオッサンと話してみる。帰りの足の相談もするが、決定打がない。とりあえずは自然を楽しむのに先へ進む。
 と、そこには四方を山で囲まれているのに水揚げしたばかりの獲りたて (?) の魚が量り売りされている。一体どういうことなのか? そしてのぞき込んだトラックにはが乗っていた。



2007年3月 2日 (金)

タクシードライバー - Bogazkale 1

 トランジットでカイセリのオトガル近くで泊まる。ここのオトガルに入るとみな一斉に声をかけにきて「行き先はどこだ? 何時出発だ?」客の取りあい。聞いてくれるから答えればその通りに案内してくれる。別に詐欺でもないのでなすがままにするだけだった。
 ボアズカレ行きは明朝乗るとして、オトガル近くでの宿泊は選択肢がゼロ。それでも地方なだけに料金は悪くなかった。この日はメヴラーナの命日ということもあって、テレビでは前日に見たメヴラーナダンスが放送されていた。ホントにこの国では一大イベントのようだった。
 翌朝ドライバーが寝坊したのか? 定刻から遅れてバスは出発した。暖房も効かない車内は吐く息が白く、ヘタすると外よりも寒い。それでも外は晴れていてとても天気がよく、雄大な平原を見渡すことができる。この旅で求めていた自然と出会うことができた。
 ボアズカレの最寄りのオトガルのある街ヨズガットに着く。ヨズガットからボアズカレには定期便が出ているわけではなく、タクシーで行くのが常。なのでヨズガットに着くと、ここでもドライバーが客の取りあい。そこで値段交渉すると、普段 50YTL のところ 40YTL で乗せてやるという。それならもうひと越え「35YTL にしてくれ」ここまで来るとオヤジもまったくゆずらない。何のことかと他のドライバーが近寄ってきて「35 はないよ」あぁ、これはドライバー同士で協定があってこれ以上安くはならないな、とすぐに悟った。他に旅行客もいないし乗り合いもできないのであれば、ケチるよりも時間を無駄にする方がもったいないので、とにかく先を急いで自然を満喫することにした。
 ブッ飛ばすオヤジ。眉間にはシワ。無愛想。いい味は出ているのだが、不親切な感じなのは値段交渉で渋りまくったからだろうか? しかしそんなことより人気のない広大な大地を見渡すことが気持ちよかった。この先も期待ができそうだ。



2007年3月 1日 (木)

ハッサン - Kappadokia 10

 なんやかやと世話になったカッパドキア・オトガルのハッサン。カイセリ行きのバスを待つ待合所でバス会社の兄ちゃんハッサンと話していた。悪そうな顔をしているわりに、ジョークを理解して気も聞く男。バスが時間になってもなかなか来ないので聞いてみると「あと3.4分で来る」どうせイタリア人と同じような感覚での答えなんだろうと、大して気にもしていなかった。
 記念にと思って写真を撮ろうとすると「オレはタルカン (トルコの有名歌手) だ。1000 ドルよこせ」というので「僕は監督だぞ。撮ってやるだけありがたいと思え」と、そんなしょうもないやりとりを交わしていた。そんなこんなで時間は過ぎ、泊まるだけのためにカイセリまで向かう。



« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »