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2006年4月28日 (金)

パロラッチャ - Mantova 4

 アフリカや南米の黒人たちは日本人を通りで見つける度に「こんにちは」「ありがとう」「ともだち」が決まり文句だ。そしてあの手この手を使ってモノを売りつけようとする。彼らが自分の知っている日本語を言ってとにかく日本人を引きつけようとするように「うん○」「ちん○」と言ってくるイタリア人。僕みたいに「しょうもないことを教える日本人がいるんだな」と思いつつ彼らを相手にしてバカ話をするときっと面白いんだろう。こういうパロラッチャと言われるイタリア語はすぐに覚えられる。イタリアに限らずどこの国の言葉でも何故かすぐに身に付いてしまう。10年前に教えてもらった中国語のパロラッチャをいまだに覚えているくらいだから。


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異邦人です - Mantova 3

 ここはベッドタウンなのか? 交通量がやたらに多く、道を渡るタイミングすら難しく感じた。修学旅行を含めた観光客が多かった。しかしマイナーな小都市だけに日本人は皆無だった。それだけに僕は何度も中国人に間違えられる。イタリア人に「中華レストランはどこにあるんだ?」とイタリア語で聞かれてしまう僕。どう端から見たって僕は地元の人間には見えないはずなのに・・・中国人と言われる度に自分が日本人であると再認識させられるものだ。
 よそもの中国人が一人で女の子を撮影していると、変質外人と見られているのではないか? なんて思いながら気にせずに心温まる風景を撮っていた。まわりの目など気にしていたら撮影などできやしない。映画の撮影なんてものはいつでも人の視線にさらされているものだし。



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トライ→アングル - Mantova 2

 街の中心地をまわっているとドゥオーモのクーポラと塔が近くに位置していて、フレームに収まりそうな位置を見つけた。しかもそこに小さな像の噴水があった。何とかしてアングルを探していると、どうやってもカメラ位置が噴水の中になってしまう。限りなく水たまりについてしまいそうな位置だ。噴水の飛び散る水と小雨にやられそうになるカメラを守りながらシャッターを切る。すると後ろから「何を撮ってんの?」と女の子が話しかけてくる。変な中国人の奇妙な体勢での撮影を不思議に思ったんでしょう。


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意外な風景 - Mantova 1

 クレモナへ行くにはマントバ行きの電車に乗るが、今回初めてクレモナからさらに一時間先のマントバに向かった。ミラノは晴れて気温も高かったのにマントバへ着く頃には寒い雨空となっていた。
 まわりを湖で囲まれた街だから、きっときれいなんだろうと思っていた。実際、街を巡ると建物の古さに目を奪われる。その古さ加減がいい味を出していた。いまにも崩れ落ちそうな壁。ひしめき合っている建物同士のすき間のない感じ。壁に埋め込まれた画。どれをとっても画になるのに、何枚撮っても気に入るものは撮れない。どんなにアングルを探しても見方を変えてみても、どうしてなのか満足いかない。


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2006年4月24日 (月)

本能のままに - Boccadasse 5

 帰りのバスに乗ろうと停留所へ行くと、ちょうど発車してしまったところだった。15分くらいは来ないはずなので海に戻り人間模様を見て回ろうとした。すると犬が立ち上がり飼い主のばあさんの持つアイスに飛びついていた。発車したバスと同じでこの瞬間を映像におさめることはできなかった。本能のままの姿が愛らしい。撮影している僕に興味を持ったばあさんに写真をくれとせがまれた。


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マトリモニオ - Boccadasse 4

 ジェノバのあるリグーリア海を沿っていくと,ネルヴィ、カモリ、ポルトフィーノ、チンクエ・テッレ、ラ・スペッツィア、といったそれぞれに味わいのある街がある。僕はここの海が好きでどの街も巡ってみた。去年カモリに行ったとき教会で結婚式をしていた。そのあとボッカダッセに行ったが、そこでもセレモニーがあり,子供たちが口笛でピーピー盛り上げていた。
 今日来たボッカダッセでもそういう光景が見られたので撮ってみた。身内でささやかに祝福する幸せが、見ていてこっちもいい気分になってくる。お互いが笑顔になれるときだからだろう。


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ラッシュ - Boccadasse 3

 ジェノバに着くといつになく活気があった。ミラノと違って海が近いこともあって日曜だと人出が多くなるのか? なんて思っているとボッカダッセに行く途中フィエラ (見本市) が開催されていた。海岸に人間の海もあり、バスが通勤時のような状態になっていたのは初めてだった。
 慣れない混雑のためにイタリア人たちの罵声も飛び交う車内をようやく抜け出して来た漁村ボッカダッセ。1月に来た時の閑散とした様子はなく,それこそ湘南の海のように行楽客でいっぱいだった。イタリアはすでに春を通り越して夏の陽気。海岸には日焼けに来ている人がほとんど。もちろん水着姿の人々がたくさんいる。
 ここに着いたのは夕方4時。サマータイムだからまだ昼間のようだが,こんな時間になっても活気がある。僕はまだ平気だろうと思っていたら,すでに漁師は漁から戻って来ていて,岸で魚を販売していた。逆に言えば漁に行っていた彼らを待つこともなくタイミングが良かった。


http://www.fiera.ge.it/euroflora2006/

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2006年4月14日 (金)

カンタンテ・ノッリ - Cremona 7

 バイオリン職人養成学校の女学生が来ていたせいか、いつもよりハイテンションだったマエストロ。やたらに歌を歌っていた。それでも作業する手が止まらないのは、やはり仕事師。頭が上がりません。


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ウマの骨 - Cremona 6

 マエストロ・ノッリの工房にて。彼は僕がいろんな都市をまわって撮影している事を知っている。パルマの生ハムの話をしていたときのこと。生ハムはとがったウマの骨を突き刺して、生ハムの匂いをかいでから出荷する。そのとき突然吠える奥さんのマリアン!!


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2006年4月13日 (木)

トラブッキの工房 (ボツテイク) - Cremona 5

 イタリアの小都市をまわる度にいつも気になるのが、ミラノには存在しない通りの美しさ。ミラノの通りの車道と歩道には段差があり、ハッキリと別れている。石畳のところもあるがほとんどはアスファルトで情緒を感じさせない。
 郊外でも車道と歩道の区別は見られるものの、段差のないところがある。たったこれだけの違いが街を歩いて行く中での心的負担に影響がある。やはりなんとなく後者の方が僕はいいものを感じている。

 マエストロ・ノッリの周辺の人々にノッリについてのインタビューをしようと立ち寄った工房。去年、長野太郎さんと訪れたコントラバッシ・クレモネージの一人ステファノ・トラブッキ氏の工房だ。
 いつも通りのアポなしの訪問だったので本人不在。工房の窓が開いていて作業の音がするから本人がいると思っていた。人の声は聞こえなかったので一人しかいないはずだったが、よく考えればマエストロ一人で作業しているはずがなかった。
 いずれにしても使うことはないだろうと思いつつ、インターホン越しの会話中に回したカメラ。日の目を見る事もなくオクラになるくらいなら、色あせた映像でもちゃんと撮影している事をご報告するために、この作品に期待していただいている方々へお届けします。


http://www.trabucchi.com/

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L'incanto - Cremona 4

 昼をとろうと思って歩き回った挙げ句、何故かしら見つからなかったレストラン。仕方なく以前足を踏み入れた事のある店に入った。いつもガラガラの店内。照明はゼロですべてを外光にたよっていた。逆に光源をほとんど目にしないので、夜はどうやっているのか興味が湧いた。
 前はピザを食べたが、今回は普通にパスタを注文するより安あがりでボリュームもあるだろうと昼のセットメニューにした。ボスカイオーラのペンネ。何のことかわからなかったが「木こり風のペンネ」クリームトマトソースにきのことプロシュートコットが入っていた。セコンドはサルシッチャとフライドポテト。それに多すぎず少なすぎない適量のワイン。昼間からいい気分になれるのも久しぶりだった。
 ここも家族経営のようで、とって付けたような応対のカメリエレのお兄ちゃんだったが、もちろんOK! 席料も取られず安上がり!! 満足したー!

Menu del giorno

Penne alla boscaiola
Salsiccia e patatine
Vino bianco 1/4

--- 12EURO



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ありがちな風景 1

 ランブラーテ駅の切符売り場に着くと、窓口には長蛇の列。出発まで15分くらいしかないのに並んでいるわけにもいかない。2台しかない自販機で買うことにした。なぜか幸いな事に自販機に並ぶ人はわずか。順番はすぐに回ってくるものの,前の順番の女の子がお金を入れる表示までさせておいて購入しなかった。何か問題か? と思いつつも自分の番になり紙幣を入れようとすると「支払いはコインのみ」という表示。この国の自販機だとよくある。自分のフトコロを見るとあと 60セント足りなかった。隣りの自販機に並び直していた女の子の後ろに自分も並び直す。
 すると今度はその女の子の10ユーロ札が汚くて機械が受け付けない。「あなたの10ユーロ札と交換して」と言う。僕は2枚持っていたが,女の子に渡したのが受け付けられて自分の番で受け付けられなかったとしたら最悪だと思い、比較的汚れていた方を交換してあげた。でもその札も受け付けられなかった。
 少し頭によぎり始めたのが「こんなくだらない事でクレモナに行けなかったらアホだ」ということ。自販機がだめなら窓口に行かなくてはならない。でもそんなことしていたら出発に間に合うわけがない。ということは何が何でもこのお札を入れないといけなかった。にもかかわらず、手持ちの10も20も50も札はすべて入らない。「買えない・・」最後唯一の手段がひらめいた瞬間には次の動きに入っていた。
 目指すはバール。その手前に古本を売っているところがあり、そこのお兄ちゃんに聞いた。5ユーロだけかと思われたが、10ユーロを出していた僕に気がつくと,もう一度レジの中を見て「そんなにないから隣りのバールに行ってみて」両替なんてダメもとでお願いしたが、ここまでやってくれた彼はいいヤツだった。バールに行き両替してもらおうとしたが,目の前に広がる1ユーロもしないお菓子の行進。両替というよりは何かしら買った方が自分の気分的にもすっきりすると思って手にした M&M'S。


 ホームに行く途中の駅の角すべてにマイクロソフトの広告があった。オスとメスのワニに見た事あるようなものが書き足されている。しかもすべての広告に・・。イタリア人のアホさ加減にちょっとした笑いがこみ上げてきて、気持ちを和らいでくれた。



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2006年4月 8日 (土)

走り出せば止まる事を知らない人々

 知人に誘われてイタリア人と日本人のいる飲みの場に行った。まさかここでこんな不思議な光景を目の当たりにするとは思わなかった。
 イタリア人はキウーゾ (閉鎖的) とか内輪で固まるとか、会ったり飲んだりするのはいつも変わらない同じメンバーだといろいろな人から聞いていた。実際そういう人と僕は会った事もなく,出会ってきたイタリア人はとてもシンパティコ (親しみやすい) で、僕自身はいろんな人とつきあいをしている。
 ミラノで会う友人もとても親切でよくケアしてくれる。行く先行く先で突然出会ってきた職人たちも、そんな僕に対しても親切な応対で接してくれた。ジェノバのロレンツォが言っていたのは「ジェノバの人間はとてもキウーゾで君みたい日本人が来ても打ちとけられないだろう。僕ですらそうだから」という。僕は「ふ〜ん」という程度で実感が湧くはずもない。「じゃ、君はパルティコラーレ (ちょっと変わり者) なんだね?」と聞くと「Si」と返された。
 僕が来たのはミラノ市内の南の方のバール。早い時間はハッピーアワーでドリンクは安く、ちょっとしたつまみはタダで食べられる。だから一杯しか飲まずに何時間もしゃべり続けるイタリア人にとっては、3〜4ユーロもあれば夜は過ごせるのだ。
 イタリア人は 3人いた。仕切り屋のようによくしゃべる男が一人,それに相づちを打つように相手をする男。その脇にイタリア人相手の日本語教師の女性。もちろん僕は彼らとは初顔合わせ。僕は彼らを知らないし,彼らも僕を知らない。でも話す内容と言えば,よくわからない。イタリア語を理解しきれないというのもあるが,正に内輪の話に終始している。日本人がいるのに日本語を話そうともしないのも理解できない。日本が好きなのではないのか? 日本語を話そうとすればたどたどしい。
 何故日本人と空間を共有しているのか?
 僕には理解できなかった。彼らはただ自分がよく知っている友人と一緒に、自分のよく知っている事を話したかったのだろうか? 僕は新しい感覚を取り込みたいがためにここに来ているのに,共通項を見いだす事もないまま,お互いが近寄る事もないまま平行線をたどる事が怖かった。もったいない。
 一人が僕に何をやっているのか話しかけてきたものの、そこから広がる話もたかが知れている。彼らはミランが勝っただとか、デルピエロがどうのこうの、ではなく「彼は」「彼女は」という自分たちの作り上げた空間の中にいる存在を面白おかしくしゃべり続けている。その彼や彼女が一体どういう何者なのか知るよしもない。そこに僕の入るスキなどない。それとも入ってこられるのが怖いのだろうか? 自分を変えたくないのだろうか?
 彼らが言うには話の腰を折っても話に入ってくれば相手にするという。確かに海外ではそういうものである。自己主張なしに、誰かが自分をわかってくれるだろうなどと、受け身の期待をしていても道は開けない。一つ言えるのは、この場がどういう場であるかという事。彼らも仕事が終わり,頭悩まされる過酷な労働から解放されてまで,日本語で頭を悩ましたくない気持ちもわかるし,真面目な話よりアホな上っ面の話で気楽でいたいのもわかる。人の余暇をどうして僕が奪えるだろうか? 彼らには楽しんでもらいたいと願うばかりである。ただ端から見た僕が感じたのは、何の魅力も感じられない彼らと自分のエネルギーを費やしてまで彼らと関わる事で、どれだけのものを手にすることができるのだろうか? そう思えば一晩だけの出来事。僕は彼らの人間観察に時を費やした。
 人はいろいろいる。イタリア人の中でもいろいろといる。イタリア人でも痛みというのを理解している人はもっと動きが違っていた。そういった僕が出会って来た人とは異なる、いわゆる一般的なよくあるイタリア人像の彼ら、そんな人間模様を垣間見られた事はそれはそれで有意義だった。
 日本にいたころの職場で、まわりが中国人ばかりのことがあった。当然中国語で会話がやり取りされることがあり、やはりその輪に加わることはできない。ある日、一人の中国人女性がみんなの前では日本語で話しましょうと切り出した。言葉で壁を作っているわけだったから彼女はナイスと思った。そう考えると日本語のわからないイタリア人の前で日本人同士日本語で話すのはよくないこと。だが日本人は得てしてやってしまうものである。自分たちにとってはわかるものだからいいが,外国人にはわからないし,何を言っているか、何を言われているか気になるものである。気まずくもさせてしまう可能性もあるという事。
 ホントに笑えたのは、彼らは話す人間同士でしか顔を向けあわない。顔を向ける方向で外部に対して完璧に壁を作り上げていた。それからもっと笑えるのは、みんなと僕との会話は僕を誘った知人を介して行われていたこと。みんなは知人に僕のことを質問して、知人が僕のことを答える。本人と直接やり取りすればいいのに間接的にやるのは日本人ぽさすら感じられた。
 イタリアの集合住宅のつくりを見ると、必ず中庭に入ってから自分の部屋の入り口に行く構造になっている。周囲は囲まれていて,外部とは仕切られている。また各都市との構造を見ても昔の城壁の名残が必ずと言っていいほどある。城壁によって敵や他国からの侵略を守るためである。こんな事を見るだけで,この国の人は深層の部分では外部から自分の領地を荒らされる事を無意識のうちに嫌い、守る事に終始しているように感じる。
 仕切り屋の男が自己満足的にみんなの前でしゃべりまくっているのを見て「あいつしゃべりすぎだから、あいつをストップさせたらいい」と隣りにいる知人に言うと「彼がしゃべって雰囲気を作るのがいい」といっていた。それは僕にとってはどうでもいいことだが、少なくとも日本においてそれでは参加している個々の個性なしで時間が過ぎ去っていく。個々がしゃべる時が必要だと僕は考えていた。彼の個性だけが露出していたところでそんなのどうでもいい事である。日本人ならもう少しお互いの接点を見いだす努力をするはずである。そのとき人が何を感じているか察することのできるこの繊細な感覚は、言わないとわからない海外の人間と違う日本人の美しい感覚だろう。行間を読めるというか機微を感じられるという事だ。
 しゃべりすぎの男が隣りの日本人と二人でしかわからない話を始めると、途端に場は静まり、彼ら二人と関われなくなったイタリア人もあきれていた。正にそれがこの時の僕の立場であったが,それが彼らにわかっただろうか? そんなことをわかって欲しいという事ではなく,そういう関わりを作らない事をこの国ではそういうもの (当然のこと) と考えているというからおかしい。ただ次第にその場は他の人間同士で話し出す空間を作っていた。
 僕は疲れて途中で席を立ったが,金曜の夜だけに彼らがいつまであの空間を楽しんでいたかと思うと,ゾッとしてくる。ひきめでこういう不思議な人間模様を冷静に分析するのも面白かった。


 テレビでロベルト・ベニーニが大学のようなところで芝居のようなしゃべりで講演のようなのをしていた。一体なんなのかはよくわからないが、ベニーニを見るのは珍しかったので撮ってみた。



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2006年4月 3日 (月)

19:00 憩いの場

 イタリアの中ではミラノもまだ都会の方だが,そんな街の中で落ち着ける風景と出会ってきた。日曜日でバスもトラムも本数が少なく,澄み渡った空とともに何か見つけられるだろうと、歩いて家路についた。
 通りの名前は Via Morgagni。老人たちでいつもにぎわっている通りの横を普段はバスで横切っていた。何をしているのか興味があった。ジェノバのボッカダッセの老人たちがよくやっている球投げに似ている。日本でいえばゲートボールのようなものだろうか?
 そのとなりでは石の椅子とテーブルがあり,カードゲームをしている老人たちが集う。これはリオに行ったときに見たような光景だった。まわりには野次馬が絶えず,僕がカメラを向けると怒るわけでもなくオバチャンが「フォトーグラフォー」とチャチャを入れてくる。
 更に進むと公園があり、父親と子供が戯れる姿があった。無邪気な子供が大きめのボールを無意識に投げると下を向いていた父親の顔面に当たり、一瞬怒りそうな顔で見上げるが、笑っている息子を見るなり怒るに怒れない親の表情に安堵を覚えた。
 最後に閑散とした空き地には犬が走り回っていた。メスの上にオスが乗ったりして「ヒーヒーハーハー」言いながら走りまくっていた。通りがかりのジジイババアも僕の顔を見ながら笑って過ぎ去っていった。
 現在時刻 19:00。陽はまだ沈まない。



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