イタリアンスマイルズ

  •  こちらのブログはイタリア在住の映像作家池田剛の撮影する映像とエッセイを掲載しているものです。製作中の映画「GLI ARTIGIANI」の映像を始め、イタリア各地の心温まる映像ビデオポッドキャスティングという形でお届けしています。

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2005年3月24日 (木)

Blue Note in Milano

 ニューヨークでも行けなかったブルーノートに初めて行って来た。ミラノにこんな奇麗なスペースがあるとは思わなかった。というよりもここがミラノだとは思えなかった。ニューヨークっぽいというより、映画に出てきそうな感じがいかにもミラノらしくなかった。
 ジャズのライブなど自分から好きこのんで行くわけもなく,それでも生ものは感動の度合が高い。ステージにはチック・コリアというピアノの大御所といわれるオッサンが来ていた。21日の初日、一本目を見た。大御所なとどいっても僕なんかにわかるわけもなく,何がすごいかまったくわからんかった。
 何も得ずに帰るのはもったいなかったので,なにかしらポイントを探していた。クラシックのコンサートでもオペラでもいいものは感動できる。かけあいのところはよかった。途中、演奏している様を眺めていて、ジャズというのは即興でやり合うものなのかと思った。実際どうなんだろう? ジャズなどわからん僕はそれ以上は何も言えない。論評すらできない。雰囲気を味わうには素敵であることは間違いない。
 2階で見ていた僕らは階段を降りて帰ろうとすると,階段の横が楽屋前だったようで,チック・コリアが立っていた。ファンらしき人と話していたが,そんなのかまわず手を出すとシカト。そのまま帰りたくなくなった僕はしつこく手を出していた。「ボナセーラ」に対し「サンキュー」僕は「グラッツィエ」名前からしてもイタリア人ではないのはわかるけど,イタリア語で返してほしかった。

http://www.bluenotemilano.com/templates/galleryListPhoto.asp?m=27|0&artist=Chick+Corea+%26+Touchstone

2005年3月20日 (日)

理想も現実

「道を歩いていて黒人のおじさんに「ありがとう」と手を握られることもあったんです」
 これはオノ・ヨーコ氏のインタビューのときのコメント。
 僕が見ている夢はホントにただの夢物語で叶うことのないものなのだろうか? もしそうだとしたら夢を追う事自体、意味がなく儚いものである。いま作っている映画「GLI ARTIGIANI」を制作する過程の中でも、道すがら人から声をかけられることもあるが,上のような形で握手を交わすことの出来る瞬間があるということは大切であり幸せなことである。
 ほんの少しでも夢を叶える可能性があるなら,それに賭けることは意味のあることだし,ほんの少しでも夢を支えてくれる人がいるのであれば,その人のために人生をまっとうしたい。世の中が異常をきたしていることも事実ならば,世の中に希望を持ち続けている人たちが存在することも事実。
 本質を見ない人が多いのが世界。でも本質を渇望している人が多いのも世界。本質をえぐり出そうとする人を待望している人々。
 現実は明るい。
 現実は強烈な想いが描き出すもの。

http://www3.plala.or.jp/smiles/cinecitta/rapporto.html#4

2005年3月 2日 (水)

ホントの美を求める究極の理想の旅

 キューバの友達ラザロからメールがあった。いつもそうだがスペイン語で送られてくる。僕もスペイン語の辞書は持っているものの、イタリア語と同じで変化の種類が多くて,原型がわからなく調べきれない単語もある。
 自動翻訳にかけてみるものの,なんとなく理解はできても,はっきりとはわからない。イタリア人の友達に訳してもらうことにした。どうやら彼の父親が亡くなったらしく,具体的ないい方はしていなかったが,助けを求めていた。
 それがホントかどうかは別にして少し考えたが,わずかでも送金してあげることが僕に求められ、そして僕にいまできることだと判断した。ひとつ怖いのは検閲が入るのかどうか?
 キューバに行ってからもう一年経つが,この件があって益々キューバのカストロ体制の改革の必要性を感じさせられた気がした。ゲバラの行ったバティスタ政権崩壊をもう一度繰り返さなくてはならない。人々の貧困より何よりも,心の救済をして行くことを必要としている。僕が少しでも力になれたらいい。
 よくいわれることだが、彼らキューバ人はとても明るく,人懐っこい。ラザロは特に旅行者である僕を単に旅行者として見るのではなく、一人の友達として扱ってくれた。それが現地人とホントの意味で仲良くなれたことを実感できて、僕が彼に感謝したことだった。
 僕みたいなちっぽけな小市民ですら、彼らを助けることができるのであれば,できるだけのことはしたいと思う。映画で収益が上げられるのであれば,彼らの笑顔のためにそれらをすべて贈りたいし,僕が現地で生活して,映画など創らなくともいい。彼らのために僕にできることをしたいと切に願う。
 そう考えると寒いイタリア。日本から見れば後進国でも,どうやって収入を得ているのか?厚手のコートを身にまとう人々。どこから出てくるのか? 金にイヤシい人たち。
 日本でも金がない,金がないという人たち。キューバを美化するわけでもないが,彼らほどの精神的なたくましさがあるとは思えない人々は、ぬくぬくと生き,目の輝きを失わせている。ホントにギリギリの生き方をしている人とそうではない人。
 僕は彼らのために金を稼ごうと思う。自分はいい生活などしなくてもいい。心の輝きを大切に保つために生きることこそ価値のあることだ。

2005年3月 1日 (火)

数年の旅を経た結果に得たストーリー

「いつ頃知り合ったんですか?」
 いったいいつ頃だろう?
 最近年のせいか物忘れが激しくなっている。

 まだ世界一周する前のことである。知り合いのバンドのライブの対バン。とても印象に残るステージだった。知り合いのバンドが何だったか忘れてしまうほど。
 その頃バイトしていたTBSの隣のカレー屋にお客として入ってきたのが,そのバンドのボーカル兼バイオリニストだった。その日からそのバンドのライブには結構な割合で通っていた。ファンになってしまった友達を同伴して。
 あれから何年経ったんだろう・・
 いま僕はミラノにいて映画を創っている。職人たちのストーリー。まさかここにつながってくるだなんて僕ですら予想していなかったストーリーだ。熱望していたシンクロニシティは突如として予告もなく訪れるものである。
 メインで取り上げていたクレモナのバイオリン職人マルコ・ノッリ。彼の工房で弟子として仕える鈴木さん。ミラノで再会して話の中に出てきたのはそのバンドネタ。何で知ってるも何も、鈴木さんとバイオリニストは知り合いだった!!
 そりゃバイオリン職人の弟子のところにいたらあり得る話ではあるけれども,音楽にうとい僕にとって、こんなちっぽけな人脈しかないのに、東京、ミラノ,クレモナと何万にももまれはびこっている中で、ここまでつながるだなんて、きっと何かがあるに違いないと思う。
 僕はこの二つの不思議な出会いに感謝し、偶然とはすませてはならないストーリーであることを証明するために、この映画を必ず完成させようとしている。
 うしろから見えない力が押してくれているのを感じる。

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